「6+1+3+1=?」ー 戸田伊吹(筑波大学蹴球部ヘッドコーチ)
あれは冬の浦安だった。
何故か暖かくて、空が割れそうなほどビビッドな夕焼けが差し込んだ千葉県・浦安市陸上競技場(ブリオベッカ浦安競技場)。
森海渡(横浜)や加藤匠人(沖縄SV)らが中心となっていた筑波大学蹴球部の試合にお邪魔して数分後。はるばる浦安まで「学徒動員」された筑波大生たちの列から1人の部員がこちらへ駆けてきた。
彼は挨拶もそこそこにこう話した。キラキラとした瞳で。
「…実は今年で『選手』を辞めることにしました。どうしても、『指導者側』をやりたくて。ずっと興味があったし、『その可能性もあるんじゃないか?』と筑波大へ進んだところもあるので」
CBとして柏レイソルアカデミーを卒団して進んだ筑波大学蹴球部としての「1年目」を終える戸田伊吹からそんな話を打ち明けられた。
「それなら、今まで伊吹と関わった記者の人たちにもその話をしてみるといいよ」
この話の直後は「まさか、こんな展開が?」と少し驚いたがすぐに納得した。だが、まだこの事実を知る者は少なそうだった。それから4度目の冬を迎えた今の露出についてはご存知の通り。
それからしばらくして、最初の定位置だったベンチの端から3番目から2番目になり、古巣に敗れ、「大号泣する同期の選手」にそっと支えたかと思えば、静かに見守る小井土正亮監督の前でヘッドコーチとして存在感を放つまでになった。

実に戸田の色々な姿を見た。ウェアの色が変わった。あどけなさは消えた。色々なことを教えてくれた。練習で蹴るボールの精度には説得力があった。何度か日立台で「対戦相手」になり、そのたび本気で勝ちに来た。いつも勝利に対して誠実で几帳面な試合を見せてくれていた。花火や綱引き大会も見られる筑波大学第一サッカー場に愛着が沸いていた。
では、2025年の関東大学リーグ1部の1位と2位の対戦となった「『第74回全日本大学サッカー選手権大会』決勝ラウンドノックアウトステージ決勝(2025年12月27日・栃木県グリーンスタジアム)」ではどうだった?戸田にとっては筑波大での最後の大会だ。
構図としては攻守にハイレベルなバランスと勝負強さを持つリーグ覇者・筑波大とリーグ最多の得点力を誇る古豪・国士舘大という構図で私は楽しんでいたのだが、その姿を見る限り、それはもうたいしたものでした。
実際に戸田はこの試合をどう感じていたのか?試合後に少し話した際には「このチームは『この勝ち方』ができるんで!」。興奮した様子でそんな話をしてくれていた。では、その話をしようじゃないか。

「国士舘大学は強かった。『フットボール』の部分もしっかりとしていて、選手個人の能力も高いチームなので。リーグ戦でも戦っていて、良いチームということは分かっていましたし、難しい試合になるのは明らかでしたし、前半の国士舘大の迫力は想定以上で苦しい前半になった。だから、前半は『苦しみながらもスコアレスで折り返せたことがポジティヴ』という感想でした」
前半、ヒヤリとしたのは国士舘大のゴールチャンスというよりも選手と選手の強い接触プレーに対する感情だった。国士舘大の勢いは感じつつも、シュートには制限をかけていたし、混乱もなかった。
「前半は特に自陣に『噛み合わせ』を作られた上に、高強度でプレスが来た。後半に国士舘大の強度が下がるまでは『人とスペース』が見つけられていなかった。後半は構造的に空くスペースとプレスが届かない場所にボールを運びながら、中盤までボールを前進させて…彼らはオフサイドトラップを巧みに使うので、背後へのアクションは狙っていました。前半にあった『苦しい時間』を耐えて、先制して、余裕が出てからは彼らの『スペシャリティ』と『チームで積み上げてきたこと』がマッチしたゴールが生まれて、そこから自分たちの流れを持ってきて、畳み掛けるべき時に畳み掛けて…このチームは『1番欲しい時にゴールを奪うことができるチーム』なので」

結果的に後半に3発。前半の国士舘のラッシュを受け切って、多少の誤差はリーグ最強のDF陣が刈り取り、最後には国士舘が敷いたハイラインを完全に崩してみせた。シナリオはやや複雑だったが、まるで予定されたウイニングランを見せるかのように鮮やかに試合を終らせた。
「このチームは苦しい時間でやられないチーム。試合を通じ、『今年の筑波大を象徴する試合』ができたと思います。真面目で素直な選手たちが揃っていて、『まず、守備だ』と。チームとしてやらければいけないことをやってくれる。苦しい時間もみんなの意志を統一して守り切れるので」
戸田の言う「この勝ち方」の極みを見た気がした。「この勝ち方」があるからまた別の想定ができる優れたチーム。
柏レイソルのイ・チャンウォン氏も「『伊吹の筑波』は往年のレアル・マドリーのよう」とよく話す。多少スロースタートでも知らないうちに試合を掌握して、気がつけばリードを奪い、勝ってスタジアムをあとにする。その点で私も同意したのだが、見ていた側とチームを作って戦っている側には常に齟齬があるもの。
「今年のリーグ戦は特に簡単じゃなかった。終わってみれば、『1年生たちが力があったな』、『全体の層が厚かったな』という見られ方をしてもらえるかもしれない。『横綱相撲だったよね』とも言われますけど、今年のリーグ開幕前後の自分たちを見ていた人たちは『筑波、大丈夫…?』と思われた人もいると思いますよ。歯車が噛み合わない時期が長くありましたからね。色々な理由で人も揃わずで」

田村蒼生(湘南)らタレント世代が卒業、2025年は新たなチームビルディングを担ったシーズンでもあった。ただ、学年を問わずタレントの宝庫。年代別代表やJクラブへの練習参加などで主力不在という機会もしょっちゅうだったが、辛抱強く人を変えながらリーグ全体の競争力は群雄割拠の時代だが、なんとかするしかなかった中で自身がCBを務めた経験からか中央の鉄壁の守備やCBが放つ意味合いを持つチームを作り上げたように思う。
「様々な理由で選手の入れ替えがあっても、『軸や方向性だけは変えずにいく』というやり方で続けるうち、1年生たちもスピード感や強度に慣れてきた。チームとしての積み上げが上手くハマった…あとは『運』もあったなと。勝負所で、何気ないFKやカウンターからゴールを奪って、しっかりと守るという試合運びができたシーズン。簡単ではありません。ギリギリの試合を積み重ねてきました」
ある時、3年生MF徳永涼はこんな話をしてくれた。
「戦術トレーニングやアドバイスは分かりやすいですし、様々なコミュニケーションで解決することができる人。時には厳しいことも言われますけどね。特に今年はミーティングでのムービーなどで刺激してくれるんです。総合格闘技や世界陸上などの他競技のワンシーンから自分たちをモチベートしてくれて。結構、刺さるんです(笑)」
うなずきながら、「ああ、『デュプランティス』ね(笑)」と笑った戸田。Jリーグと同様に異常気象と連戦が付きまとうシーズン。歯車を整えるためにはピッチ内外でのアプローチの質も問われた。
「自分の中では1試合1試合、あるいは1週間でどんな準備をするのか、チームとしての雰囲気作りや持っていき方、その働きかけも含めて、どうやってピークを持っていくのか、そのためにどんな言葉をかけるのかについては時間をかけて考えて、エネルギーを使って伝えてきました。物事や選択のバランスを取れるようになったと思いますし、考えを伝えることやスピーチと言えばいいですかね、そのあたりは自分の良さだと思っています…つい感情的になって泣きガチでもあるんですけど(笑)」
棒高跳び世界記録保持者のアルモンド・デュプランティスの勇姿は戸田の感情に触れたのだろう。また、そのような工夫はアスリートの彼らにはさらに鋭角に刺さることだろう。とにかくチームのためになるなら、スポーツ的にもテック的にも、感情的にもできることやった。
なぜなら、勝利や成功、伝統と同じくらい重要な「責任」があったから。

「この4年間は自分の決断を正解にするためにやってきた。アシスタントから実質的なヘッドコーチになり、昨年からはほぼ監督としてやらせていただき、それぞれの立場から『自分ができること・できるようにならなきゃいけないこと』を模索すること。『フットボールの進化を拾い集めること』。その両輪を、エネルギーがある限り続けてきた『3+1年』でした。この歳で、この選手たちと素晴らしいコンペティションを戦えるなんて経験はなかなかできないこと。この経験は、次の人たちへ繋いでいかないといけない。自分はその『責任』も背負っていた。『筑波大で自分と同じように指導者を目指す人たちのためにも、結果と同様、何を残していかないと』と思っていました。その機会を見守ってくれていた小井土さんへの感謝、それしかありません」
まるで体の一部のように…と言ったらやや大きいが、自由自在に操ったシステムボードと良い音を響かせたホイッスルを1度置いた今、描く次のビジョンとは?
「自分が目指すところは変わらない。あくまで『いけるところまで・1番高いところ』へという思い。この経験ができているのはたくさんの方々の支えや繋がり、ご縁のおかげで経験させていただけていることを大切にしていきたいです。筋は通しながら、自分がすべきことはブラさずに。時間的に見たら、『最速』ではないかもしれないですけど、『遠回り』だとも思わない。プロセスが違っても目指すところは変わらないし、お世話になった方々に恩を返し、辿り着きたいから。尚且つ、ここで一緒に戦った仲間たちとまた旅をできるように。『また戸田伊吹と仕事がしたい』と言われるようにやっていきたいですね」
では、5年を過ごした筑波大での時間を終え、戸田はどこへ向かうのか?
次の行き先は公式発表の通り、柏レイソルアカデミー。
「自分は『柏レイソル』に育ててもらった。体の中には『柏レイソルの血』が入っている人間。『レイソルアカデミーの6年』がなければ、そもそも筑波大にいなかったはずだし、その『6年』がなければ、小井土さんからヘッドコーチを任されることもなかったと思っている。筑波大でやってきたことを持って、次は『レイソルのため』になりたいし、『レイソルの発展』に貢献することができたらと思っています。自分の中に『トップチームの監督』という大きな夢がある中で別のお話もいただいた。それらを踏まえて、自分の答えを探した時に1番大事にしたのは、『レイソルへの愛』だった。『レイソル』を断ち切ることなんてできないし、その気持ちを優先させていただきました」
いくつかの選択肢はあった。そりゃそうだ。それだけの実績を築いてきたから。
でも、「血」や「愛」には逆らえなかった。
「まずは自分がどこまでできるのかを探しにいく。育成年代の彼らをどこまで引き上げることができるのかやチームとしてどのように表現できるのかにもトライをしたい。未知の領域ではあるのですが、自分のできることをしっかりとやりたいです」
そうまた瞳を輝かせたが、その手始めはやや盛大だ。
どうやら、「柏レイソル初陣」はカタールで1月中旬に開催予定の「アルカスカップ・インターナショナル」になるそうだ。
…但し、条件付きでー。

「選手たちのこともまだよく知らない状態。『行ってきて欲しい』と言われたので、なんとかします(笑)」
大会の開催や招聘に関する連絡が遅れていた上に、準備期間は10日程度という遠征とはなるが、この遠征が実現すると、戸田自身も2018年と2019年に出場したユース年代最大規模の国際大会に凱旋することになる。
かくして、再び交わった「戸田伊吹と柏レイソル」で云えば、こんなことも。
戸田は昨年7月に約2週間に渡るレイソルへの練習参加をしている。天皇杯や練習試合の機会は過去にもあったが、腰を据えての形は初めて。ある日の練習後、リカルド・ロドリゲス監督の方から戸田へ「何曜日に話そうか?」と「特別講義」の提案あったという。
「自分は、『チームをどう進化させていくのかというその過程。主にピッチ内での現象において、どう捉え、どんな順序でチームに落とし込んでいくのか』という少し大きな部分と、あとはやっぱり『どうやってゴールを取るのか』について聞きました。試合映像も持ち込んで」
有料配信でも見届けたい内容だったが、その場で「何が話され、何を得たのか」は戸田のもの。それ以上を掘るような野暮なことはしなかったが、戸田は話を続けた。
「大事な鹿島戦を控える大事な準備が進んでいた頃に自分を迎え入れてくださった、布部陽功さんとリカルドさん、村松尚登通訳には特に感謝しなくてはいけない。自分のために貴重な時間を作っていたたいたので…でも、リカルドさんのサッカーへの情熱が凄まじく、1つ聞いたら何個も返ってくるので、聞きたいことをすべて聞けたわけではないのですが(笑)、吸収できることはたくさんありました。リカルドさんが『サッカーをどう捉えているのか』や『サッカーへの情熱や振る舞い』などですかね。これが『あのサッカーを体現できる監督の姿なんだ』と。自分が目指すべきものを再認識できた2週間でしたし、リカルドさんとの時間はとても濃密な時間でした」

最後に「あの浦安で進路を告白した、『あのキラキラした青年』に言ってやりたいことは?」と聞いた。
「あの時は『希望』しかなかった。将来に対してのワクワクにあふれていたとは思いますけど…『そんなに甘くねえぞ!』って言ってやりたいかな(笑)…でも、『自分らしくがんばれよ』とも言いたいかな。別に早く始めたからって、一流になれるわけじゃないし、今やそういう指導者はたくさんいるわけで。『じゃあ、おまえはキャリアのある指導者や選手出身の指導者たちとの違いを出すの?自分で自分を磨き続けろよ』って伝えておきたいですね」
どうだ、伊吹。1つの質問とその回答で、長い記事で伝えたかったことや私なりのメッセージ、君の歩みや学び、備える本質についてが一気に回収されることもあるんだよ。それとあの時に「記者の人に…」と偉そうに言ったのは、まず「対話に優れた人だから」というのと、「記者を手玉に取ること」も君の将来の作業の1つだからなんだぜ…と言わせおくれ。

さて、やっと帰ってきたね、おかえり。次の一歩がまた素晴らしいものになることを祈っています。
この記事を書いたライター
