第77回東葛駅伝 優勝は流山市立常盤松中!選手インタビュー
秋の東葛路を駆け抜ける第77回東葛飾地方中学校駅伝大会(毎日新聞社・千葉県教育庁東葛飾教育事務所・東葛飾地区教育委員会連絡協議会など主催)が、令和7年10月18日(土)に行われ、流山市立常盤松中学校が1時間40分6秒でゴール。東葛6市(松戸・柏・野田・流山・我孫子・鎌ケ谷)の中学校(公立74校、私立1校)の頂点に立った。同校は初優勝。流山市の学校の優勝は、第27回大会(1973年)の流山南部中、第51回大会(1997年)の流山東部中以来26大会ぶり(28年ぶり)3校目となった。

準優勝は野田市立第一中学校、3位は松戸市立第六中学校。
今大会は3000m2名、1500m2名、計4名が全国大会に出場した野田一中と野田一中と同地区の葛北支部駅伝で優勝し、県中学通信陸上大会の3000mで優勝した池三津遼選手がいる常盤松中の2強の争いが予想された。
常盤松中は2区でトップに立ち、7区へ中継時まで首位を守った。追いかける展開になった野田一中は、7区倉持壮選手が中継所直前で常盤松中を逆転し、1秒の差で8区へ中継。8区は野田一中の野口大輔選手が前半は常盤松中の中村聡真選手を突き放した。追う常盤松中は冷静に少しずつ追い上げ逆転し、約15秒差に広げて9区へ中継した。最短区間2.6kmの9区は常盤松中のメデン湘悟選手が2位野田一中との差を約37秒に差を広げて中継し、10区は常盤松中の山上侑悟選手が野田一中の石塚大稀選手の猛追を振り切り、14秒差で逃げ切った。

1区 池田 佳十選手(3年)
陸上部とサッカーのクラブチームに所属。昨年は5区。スタート前は、なるべく前に出て集団に巻き込まれないようにしようと考えていた。スタート直後から良い位置に入れた。3kmまではイメージ通りに行けた。我孫子中の岡良暁選手が飛び出したときは、ここで付いていったら最後まで持たないと思い自重した。ラストスパートがかけられなかったのは悔しい。走り終えた後は、「優勝してほしい」と祈りながらライブ配信を見ていた。8区の競り合いは「常盤松中の方が強い」と信じていたので安心していた。今後の目標は県駅伝で優勝し、全国駅伝を走ること。

2区 木村 惇志選手(2年・初)
陸上部。6位でタスキを受けて1位で3区へ中継した。2kmまでは先頭集団と離れていたが、徐々に差を詰めて行き、残り500mで少しずつペースを上げた。坂を上りきった後は、競り合いに負けないようにラストスパートをかけた。1位で3区へつなげてうれしい。今後の目標は、県駅伝を走り、区間賞も取って全国駅伝に出場したい。

3区 三髙 翔音選手(3年・初)
陸上部とサッカーのクラブチームに所属。支部駅伝は走れなかったが、みんなが「俺たちに任せろ」と言ってくれたので、安心して東葛駅伝に照準を合わせることができた。練習も積めて体力も戻して今日を迎えられた。野田一中と松戸六中との3人の集団となり、最初は不安だった。松戸六中が前に出てくれたので、付いて行き最後に離そうと思った。2.5km地点で余裕があり、最後はダッシュをして後続との差を広げられ、いい走りができて楽しかった。
今後の目標は、県駅伝に優勝して全国駅伝を走ること。

4区 池三津 遼選手(3年)
陸上部。1年時は6区、2年時は2区。人生最後の東葛駅伝になるので、楽しみながら走ることをいちばんに意識した。エースとして後半の選手たちが楽しく走れるように差を広げようと思った。残り500mは坂もありきつかったが、沿道からの応援のおかげで、持てる力を最後まで振り絞って出し切れた。
今後の目標は2週間後にある県駅伝でしっかり勝ち、全国大会に出場したい。

5区 大貫 由馬選手(3年・初)
陸上部とサッカーのクラブチームに所属。力は出し切れたが、残り500m、300m、100mで段階的にもう少し上げられたかなと思う。後ろからの足音が聞こえて追われる怖さはあったが、先頭で受けたからには、なんとしても先頭でつなごうと思い、自信を持って走れた。自分自身は差を詰められてしまったが、後ろの区間の選手たちは、夏休みにしっかり練習を積んでいたので、必ず優勝できると信じ、自信を持ってライブ配信を見ていた。今後の目標は、チームとして優勝し、全国大会に出場すること。

6区 大畑 勇人選手(3年・初)
野球部。1位でタスキを受けて緊張した。2位と近い位置でスタートし、追い付かれないことを意識した。もう少し後続との差を広げたかったが、自分なりにやりきった。この大会で中学駅伝はひと区切りをつけることになると思うが、東葛駅伝を経験したことで、高校では駅伝を走ってみたい気持ちはある。

7区 西川 恭士郎選手(3年・初)
陸上部とサッカーのクラブチーム。サッカーは引退をし、今は駅伝一本で活動をしている。自分の思うような走りはできず追い付かれたので、いいレースはできなかった。緊張はしていたが、応援などが力になり徐々に緊張がほぐれていった。野田一中の倉持壮選手が、後ろから迫ってくるのは感じていたので苦しかった。相手は3000mで全国大会に出場した格上選手だからこそ「勝ちたい」という気持ちは強かった。
今回は思うようなレースはできなかったので、今後は県駅伝にメンバー入りし、県駅伝はチームに貢献する走りをしたい。

8区 中村 聡真選手(3年・初)
陸上部。1km3分5秒で刻み、ラストを上げるプランだった。野田一中とほぼ同じ位置でタスキを受け、最初は(野田一中の)野口大輔選手が思った以上に速く行ったが、プラン通り1km3分5秒で刻んだ。2km過ぎに追い付き、ラストは気持ちよく走れた。最初に引き離されたときは、多少焦りはあったが、無理をして付いていったら最後までスタミナが持たないと思い、付いて行かなかった。プラン通りに走れば3kmを9分15秒から20秒で通過できるとわかっていたので、その通りに走れば9区へ中継時は、ほぼ同じくらいでつなげると思った。
今後の目標は、県駅伝のメンバーに入りをして走りたい。

9区 メデン 湘悟選手(3年・初)
陸上部。1位でタスキを受けることも1位以外でタスキを受けることも想定し、心の準備はできていた。緊張はあったが、楽しく走れた。1kmから2kmの1kmを粘ることができ、ラストスパートもできて10区につなげたのはよかった。
今後の目標は県駅伝、関東駅伝、全国駅伝のメンバー入りをして、みんなで力を合わせて優勝をしたい。

10区 山上 侑悟選手(3年)
陸上部。昨年は7区。最長区間ということで最初は少し抑え気味に入り、いい感じでリズムを刻めていた。2km~3kmの1kmで(想定よりも)少しペースが下がり、そこをなんとかしたかった。野田一中の石塚大稀選手は、1500mの選手でラストスパートが強く、競技場に入るまでに並走したら負けてしまうかもしれないと思い、早めに仕掛けたり少しペースを上げたりと陸上競技場に入るまでに追い抜かれない距離まで離すことができた。追われる怖さはあったが、白バイの後ろを走れてとても気持ちがよかった。
今後は、県駅伝で絶対に優勝して全国駅伝に進出したい。

柗冨 夏樹先生
1人予定していた選手が1週間前にケガをした。そこから区間編成を考え直し、最後まで悩んだが、今まで頑張ってきた3年生を全員起用した。幸い直前の体調不良者はなく今大会に臨めた。
今大会は7名が初の東葛駅伝となった。昨年までの先輩たちが強く、彼らには叶わないと思いながらもその姿に憧れ、日々、駅伝に向けて取り組んでいた。(東葛駅伝の)経験があるかないかというとあったほうがいいと思うが、選手たちには「いつもの力を出す準備が大事。それができていると思うから自信を持って走ってほしい」と話をしていた。
前半から先頭を走り、突き放していくのが理想だったが、どこかで誰かがうまく走れなくてもチーム全員の総合力はこの1年でかなり高くなっていた。選手たちを信頼し、優勝争いはできるのではないかという気持ち本番を迎えることができた。
野田一中が強いのはわかっていたので、1人1人がその区間で1秒を絞り出すような「少しでも前で渡すという細かいところに拘ろう」と伝えて送り出した。1月の支部新人駅伝、2月の県新人駅伝は野田一中に次ぐ2番となり、9月の支部駅伝は優勝できたが、練習内容はこの2~3年は変えず特別なことはしていない。選手が毎日、1日1日の練習をコツコツと積み重ねて力をつけてくれたと感じている。
三髙翔音選手が支部駅伝を体調不良で欠場したが、彼には「まだ東葛駅伝と県駅伝がある。チャンスはあるから次の駅伝に向けて頑張ろう」と声を掛けた。本人も心を切らさずにここまでやって来られたと思う。サッカーで鍛えた足腰の強さと気持ちの面で強いので、苦しくなった場面でも粘れると思い、上り下りが続く3区に三髙選手を起用した。レース展開の中では、いちばん重圧のかかる8区を走った中村聡真選手は、もともとは他部活で1年の終わり頃に陸上部に入った。最初はなかなか走れなかったが、年間通してコツコツと努力をしていた。「努力は賜物」を信じて長距離区間の3.4kmに起用した。
野田一中の10区石塚大稀選手は力があるのを知っていたので、残り200mになってもまだわからないと思った。ゴール手前30mで「これは逃げ切れる」と思い、いいゴールの瞬間を見られてうれしい。
昨年の県駅伝、今年の県新人駅伝ともに敗れて選手たちは優勝したいという気持ちは強い。その夢が実現できるように後押しをしていきたい。
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