
携帯電話の便利さと寂しさ

息子M(小3)が子ども用携帯電話を持つようになりました。一人で出かける行動範囲が広がってきたため緊急用に、と家族で相談して決めました。母親と父親とだけメッセージを送り合えるシンプルな物で、端末が届いた日は家の中でおかしなメッセージを送り合い、楽しんでいました。
父親は仕事、母親の私は出張、Mはフリースクール、という日に初めてMは携帯を持って行きました。ほどなく私の携帯に「母ちゃん、お仕事がんばってね」とメッセージが届きます。私は「ありがとう。Mもがんばってね」などと返しました。それで終わりかと思ったら「お仕事何時に終わるの」「ぼくはゲームやってるよ」など次々にメッセ―ジが。しばらくしてメッセージを確認すると今度は父親にも大量にメッセージを送っており、「父ちゃん、調子はどうですか」、「お仕事何時からなの」、「おーい、返事しろー」などの言葉が並んでいました。父親は何回か返事を返した後、「お仕事なのでお返事できないときがあります。気にせず遊んでいてね」とメッセージを送り、Mは「はい」と返してやり取りは終わっていました。
家に帰って今日のことを話しました。Mは既にばつの悪い顔をしており「いっぱい送っちゃった」と言いました。私は子ども用携帯とはいえ、渡す時に大事なことを伝えていませんでした。それは「返事をするかしないか、また、いつするかは相手が決める」ということです。簡単に四六時中つながれるからこそ、相手のことを考えなければならない。自分と相手は違う人間。当たり前のことですが、それを学んでおらずトラブルになっている子(大人も)をよく見ます。たとえ家族でも、恋人同士でも相手の意志や生活への尊重は必須です。Mとは「携帯がなかった時はお互いがどうしてるかそんなに気にしなかったのに、携帯があると気になっちゃうね。なんでだろうね」と話し合いました。いつでもつながれる便利さを手に入れることは、つながれない時の寂しさを手にすることでもあります。今の子どもたちには、昔にはなかった苦労をさせているなと感じます。
☎04・7146・3501 NPOゆうび小さな学園 杉山麻理江
この記事を書いたライター
