Vol.20 松戸市立第二中学校出身 斎藤拓海さん
◆陸上競技をはじめたきっかけ
もともと走ることが好きで、小学生の頃から校内マラソン大会前はたくさん距離を踏み準備をしていました。中学では野球部に入りましたが、駅伝の練習に参加してチームで襷をつなぐ楽しさと達成感を得ました。
駅伝はチームメイトと感情を共有できることが何よりうれしくて、高校から本格的に陸上競技を始めました。
◆第69回東葛駅伝は2区、第70回は4区を出走
中学2年時は、速い先輩方がいたこともあり、伸び伸びと楽しんで走れました。初めて参加する大きい駅伝大会で、応援の多さが衝撃的でテンションが上がりました。中学3年時はチーム1番手でプレッシャーを感じ、力を発揮しきれず終わってしまいました。

東葛駅伝は10区間あり、支部駅伝(6区間)は一緒に走れない選手や、他部活の選手も一丸となって頑張れるのが大きな魅力です。中学生で大規模な応援と声援を受けられて、とても貴重な経験ができました。
◆トラックと駅伝の経験が陸上競技転向のきっかけに
トラックでは、2016年度(第178回)松戸市陸上競技記録会で初めてメダルを獲得した3000mが思い出に残っています。1位は同じ高校に入学した永山拓史さん、2位は常盤平中の兼岡拓也さん、3位は私でした。3人とも名前に「拓」があり、表彰式の時に「トリプル拓だね」と話しをしました。
レース終盤は上記3人が先頭集団で、残り1周で私が前に出ましたが、最後の直線で両サイドから2人に抜かれました。この頃からラストスパートの弱さが課題でした。
駅伝では2年時の松戸支部新人駅伝がいちばんの思い出です。中学入学後は、学校指定の運動靴で走っていました。初めて友人からレーシングシューズを借りて走り、区間賞も獲得できました。レーシングシューズの軽さに感動し、後日、両親にわがままを言って類似の高額のシューズを買ってもらいました。県中学駅伝に出場するのが目標でしたので、さらにタイムが伸びると思いうれしかったです。

◆仲間とともに市立船橋高校へ進学

中学3年時に市立船橋高校の中村康先生(当時)から声をかけていただき、高校から陸上競技を始めるか野球を継続するか迷っていました。
小学生の時に通っていたソフトボールの監督に相談したところ、「陸上競技が好きで、速く走りたくても必ずしも誰もが速くなるとは限らない。走ることが得意な拓海はそれを伸ばすほうが良いと思う」とアドバイスをくださり、陸上競技に転向する決心がつきました。また、陸上部顧問の矢野隆照先生(当時)が市立船橋高校を推していたこと、同じ中学の須賀大介さんも同校から勧誘を受け、一緒に頑張りたいと思ったのも大きかったです。

◆高校2年時は県高校駅伝6区区間賞

高校生活では高校2年生の時の県高校駅伝がいちばん印象に残っています。1区で八千代松陰と20秒差の2位でした。3区で少し差が広がりましたが、区間が進むにつれて差を縮め、6区(5km)の私は1位と15秒差でタスキを受けました。区間賞でしたが2秒しか差を詰められなかったです。
7区(最終区。5km)の残り1kmぐらいで1位の八千代松陰に追い付きましたが、トラック勝負となり、スパートをかけられ7秒差で2位でした。市立船橋は7区間中5区間で区間賞を獲得しましたが、優勝できずとても悔しかった記憶があります。

◆箱根駅伝常連校の明治大学へ進学
高校では長い距離の走り込みが多く、スタミナには自信がつきました。課題のラストスパートは克服できなかったです。明大は高強度練習の質が高く、足りないところを補えると思いました。私は明大の推薦基準を満たしており、名門校に挑戦したかったのと中村康先生が明大の駅伝監督に話をしてくださり、推薦試験を受験し合格しました。
◆大学3年時と4年時に箱根駅伝16名の登録メンバー入り
大学入学直前にコロナ禍となり、入学後はしばらく集団練習ができなかったのは苦しかったです。その後も思うように走れない日々が続きましたが、走れない期間は、今できることを徹底して行い、それをやり遂げた後に「みんなより速くなってやる」という気持ちで練習に取り組んでいました。
その成果を大学3年時の上尾シティハーフマラソンで発揮できました。1時間3分12秒(総合27位。学内2位)を記録し、箱根駅伝の登録メンバー16名に入りました。

3年時はギリギリまで走るか走らないかを知らされなかったです。自身でも走る可能性があると思い、日々、集中して過ごし、最高の状態で箱根を迎える準備をしました。8区にエントリーでしたが、当日変更で走れなかったです。
大学4年時は箱根駅伝予選会を走り、明大は2位で通過しました。学内上位10名に入れずチームに貢献できなかったですが、高校時代の同期の女子や後輩の男子が応援に来てくれたのはうれしかったです。レース後も残ってくれていて久しぶりに話をしました。私の名前入りの手作りのうちわを見てプレゼントと勘違いし、そのまま持ち帰りました。

2年連続で箱根駅伝の登録メンバーに入りましたが、練習の状況や箱根駅伝予選会などの結果から、正直、走るのは難しいと感じていました。最後まで走る準備は怠らず、4年生としてチームに貢献するために練習ではペースメーカーを率先し、チームを盛り上げる役に回りました。最後の箱根駅伝は7区にエントリーでした。事前に当日変更を知らされていて、出番はなかったです。
◆今後の目標
大学卒業後は、医療機器のメーカーに就職をしました。AEDなども扱っている関係で東京マラソンのスポンサーでもあり、社内でも駅伝や外部のリレーマラソンに参加するなどランニングに関しての活動が多いです。
平日に走る時間をなかなか確保できない分、このような機会を活用して走っています。仕事面での目標は、営業職で新人賞を取ることです。プライベートの目標は、東京マラソンに応募し、1km4分ペースの2時52分で完走することです。
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