Vol.22 流山市立八木中学校出身 小野里裕之さん
中学入学後に野球の体力づくりのため陸上部へ入部した小野里さん。休日は硬式野球チームの練習に参加をしていた。
「陸上部入部直後は、短距離やリレー、走幅跳を種目としていました。中学2年の夏から陸上部顧問の中曽根仁史先生(当時)から『駅伝練習に参加してみては』と勧めてもらい、短距離と長距離両方の練習をしていました。中曽根先生は3年間担任でもあり、生徒と一緒に泣き、一緒に笑う熱い先生でした」

◆第56回東葛駅伝大会 5区を出走
休日は野球の練習や試合に参加していたため、中学2年時までは東葛駅伝の日も野球を優先した。
中学3年時に夏の大会で野球を引退後、駅伝練習に専念するようになった。「朝練習は長い距離を走り込み、授業中は眠い日もありました。放課後も猛練習で毎日がきつかったですが、東葛駅伝の5区を走れると決まった日は、とてもうれしかったです。駅伝前の壮行会は、自身は陸上部として初めての大舞台ということもあり、緊張しました」

大会当日は、タスキを受けた直後からアドレナリンが出て1つでも前へという気持ちが先行した。
「全力ダッシュのような感じで15人ほど抜きました。このまま行けるのではないかと思いましたが、明らかに飛ばしすぎました。最後はスタミナ切れで5人くらいに抜き返され、終わってみればあっという間に感じました。東葛駅伝を走ってから20年以上が経過しましたが、走った日のことは今でも鮮明に覚えています。地元の流山市を走り、母や後輩たちが沿道に駆けつけてくれて、大声援にガッツポーズで応えたり、とにかく楽しかったです。東葛駅伝は中学生が10区間もの公道を走れる貴重な大会です。何事にも代えられない経験ができました。」
◆高校でも野球を継続
「野球推薦で市川高校に入り、陸上競技は中学限りで引退をしました。高校の野球部は年末年始以外、休みなしでした。それでも東葛駅伝の猛練習を経験していたので、苦にはならなかったです。最後の3年生の夏は千葉県ベスト16に終わり、燃え尽き症候群になり、かつ自分の野球のレベルを冷静に考えて、高校までで野球は一区切りつけました。中学時代に数々の全国大会を経験し、最大の目標にしていたジャイアンツカップにも出場できたこともあり、野球をやりきったという達成感が大きかったです。また、大舞台の極限の中で戦えたという大きな経験ができ、とても充実しました」
◆東葛駅伝の経験が原点に
大学卒業後は不動産売買の会社に就職をし、営業を担当。「新卒1年目から連日、残業で深夜帰宅でしたが、東葛駅伝の練習で得た経験を超えるものはないと思いました」
中学時代に鍛えたメンタルで集中力がつき、仕事量を冷静に見つめることができ、ペース配分を自分なりにつけられたという。
◆白井中央ボーイズのコーチに就任
「入社5年後くらいに土日休みの会社に転職し、大学卒業後は1度も顔を出せなかった中学時代に所属していた流山ボーイズを訪問したところ、成り行きでボランティアでのコーチになりました。5~6年ほどコーチの経験をし、現在は白井中央ボーイズで同様にボランティアでのコーチをしています」

◆やりがいあふれる週末の野球
白井中央ボーイズは、3学年で約70人弱の中学生をが所属する大所帯のチーム。
「仕事が休日の土日はすべて野球に関わっていますし、選手の人数も多く、時には厳しいことを言わないといけない場面もあります。大変なことも多いですが、楽しいことの方が多く、選手と一緒に汗をかいて充実した日々を過ごせています。選手には自分で選んだこのチームで野球を思い切り楽しんでもらい、チームメイトと切磋琢磨しながら技術を追求して羽ばたいていってもらいたいのと、3年間で培った経験を活かして堂々と世の中をとにかく楽しんで渡り歩いていけるような人材になってほしいです。願わくは私も経験した全国大会、ジャイアンツカップ、卒団後は1人でも多くの選手に私が届かなかった甲子園の舞台に立ってくれたら、指導者冥利に尽きます」

◆今後の目標
「自分自身は過去の経験と現在の指導経験を活かしながら、的確なマネジメント力を身に着け、スポーツメンタルなどの勉強をして、資格取得を目指していきます」
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