良書吉日⑧読書案内『山頭火が九州を旅した時の日記と句』
『山頭火 行乞記(ぎょうこつき)』種田山頭火(たねだ さんとうか)著(春陽堂書店)
山頭火の愛した俳句は自由律俳句といって、五七五の定型や季語に捉われず、自由な感情の赴くままにつくっていくものである。
この行乞記は、山頭火が48歳から50歳にかけて、九州を旅した時の日記と句からできあがっている。山頭火は43歳の時に出家得度をした。当初、熊本県にある観音堂の堂守を勤めていたが13カ月あまりで切り上げ、托鉢をしながらの行乞流転(ぎょうこつるてん)の旅に出た。それまでの日記を焼き捨て、よく知られている「焼き捨てて日記の灰のこれだけか」を詠んだ。
旅に出るにあたって「私は今、私の過去一切を清算しなければならなくなっている。(略)私の生涯の記録としてこの行乞記をつくる」と決心を述べ、「行乞は雲の行く如く、水の流れるようでなければならない。木の葉の散るように、風の吹くように」としている。
ある日歩いていると、「中年男が私を僧侶であると確かめてから『道とは何でしょうか』『心は何処に在りますか』と問うてきた。道は遠きにあらず近きにあり、平常心是道、などといい、かれは丁寧にお辞儀をして去った」と珍問答を書いている。
1931年(昭和6年)12月31日の日記には「うしろ姿のしぐれてゆくか」が記されている。その年の大晦日を迎え、来るべき新しい年に新しい生活を始める決意が込められている。
翌年6月から、下関の川棚温泉を死に場所と定め、ここに其中庵(ごちゅうあん)を結ぼうと決め、寺所有の土地の借り入れ交渉を始めるのだが、身元保証人などに悩まされ、この造庵は頓挫する。
しかし、時をおかず8月の終わり、俳誌「層雲」の同人たちの世話で生家のあった防府の近く小郡町に草庵を結ぶことができた。9月20日の日記には「結庵入庵の日、ぐっすり眠った。私には大満州国承認よりも重大事実である」と大げさに喜びを記し、行乞記を終えている。
酒を愛し、時にはへべれけになって、気ままな旅の日々の出来事を優しい言葉で記す。山頭火の俳句には柔らかな感情があふれていて、いっそう親しみを覚える。

■吉法師
漁師町の生まれ。青春は陸上競技に明け暮れ、その後、トライアスロンにも挑戦。中学生時代、国語教師への憧れから、読書に目覚め、今や本の虫。
この記事を書いたライター
