Vol.29 柏市立光ヶ丘中学校出身 大野 雅也さん
小学生時代は野球少年だった大野さん。中学入学後は野球部に入部し、中学1年時から東葛駅伝を走った。野球は好きだったが、努力した結果が表れやすい陸上競技の方が自分に合っていると感じ、中学2年時に陸上競技部へ転部した。ここでの決断が後の競技人生につながった。
第69回から3年連続(8区、1区、1区)で出走


上下紫色のユニフォームが大野さん
東葛駅伝は、中学1年時以外は自分の思うような走りができず、結果としては悔しさの残る大会となった。特に中学3年時は、全国大会1500mの決勝に進出したこともあり、「結果を出さなければ」というプレッシャーを強く感じていた。その一方で「東葛駅伝ならではの特別な雰囲気も印象に残っています。全校集会で壮行会を開いてもらったり、沿道には同級生がたくさん応援に駆けつけてくれたりと、多くの人に支えられて走る経験ができました。東葛エリア出身の方と話すと、世代を問わず『東葛駅伝』の名前を知っていることが多く、それだけ地域に根付いた大会であることを実感します。中学生の大会でありながら、歴史が長い駅伝は全国的に見ても珍しいと思います。大人になった今でも『あの東葛駅伝を走った』という経験が共通の話題となり、人との話題を生んでくれています」。




全国大会1500m決勝に進出
中学3年時に県中学総体1500mで3位。4分4秒88を記録し、全国大会進出を決めた。中学時代は全国大会に出場すること自体を大きな目標で、「全国大会は決勝に進出できると正直思っておらず、とても驚いたことを覚えています。悔いを残したくなかったので、予選は出し惜しみせずに力をすべて出し切りました。その勢いのまま決勝の舞台に立てたことは、今でも忘れられない貴重な経験ができました。決勝は地上波で放送されたこともあり、レース後には学校関係者や親戚など本当に多くの方から『テレビで走りを見たよ』と声をかけていただきました。自分の走りが多くの人に届いたことを実感し、とても嬉しかった思い出として心に残っています」。
全国高校駅伝常連校の八千代松陰へ進学
長距離の強豪校の見学には行ってみたものの、各高校の練習内容を細かく分析して「どこがいちばん自分に合うか」を考えるタイプではなかった。「各地のレースを通して仲良くなった子たちが八千代松陰を受験することや私を応援してくれていた大人の知人からの強い勧めもあり、最終的には感覚を大切にして八千代松陰へ進学を決めました。
「入学後は競技者として3年間で大きく成長することができましたし、他の高校では経験できないような貴重な時間を過ごせたと思っています。何より良かったのは、一生付き合っていきたいと思える仲間に出会えたことです。今でも高校時代の仲間とは定期的に集まり、当時の思い出話で大笑いしています。競技面だけでなく、人との出会いという意味でも、八千代松陰を選んで本当に良かったと感じています」。

全国高校駅伝で感じたチームスポーツの難しさと仲間の支え
高校2年時の全国高校駅伝が、競技人生で一番苦しかった。全国的に注目されていた先輩の佐藤一世さんが1区、石井一希さんが3区ですごい走りを見せ、他の同期も全国の強豪を相手に力を発揮する中、最終区の7区を任された私が思うような走りができず、チームの足を引っ張ってしまったという思いが今でも強く残っている。「同期や先輩は誰一人として私を責めることはなかったですが、チーム全員が『都大路で結果を残す』という思いで練習を積み重ねてきたこと、出場したくても走れなかった仲間もいたことを考えると悔しく、申し訳ない気持ちでした。『都大路の借りは都大路で返す』という思いで残りの1年を過ごしました。高校3年時の全国高校駅伝2区で目標に近い走りができ、自分の中で少し気持ちを整理することができました。もともと自分の結果がチーム全体に影響することへの責任を感じるタイプでチームスポーツは向いていないと思っていたので、仲間の支えがなければ、『駅伝はもう出なくていいかな』と心が折れていたと思います」。



中距離と長距離の両立を目指して日大へ進学

大学では駅伝だけではなく1500mでも勝負したいという思いが強かった。箱根駅伝を目指せる環境であり、中距離種目にも力をいれていて、当時から1500mで活躍している選手が多かった日大に魅力を感じていた。「高校時代は駅伝で目立った結果を残せず、進路がなかなか決まらずに悩んでいた時期もありました。そんな中で、快く受け入れてくださった日大には感謝しています。大学1年時の終わり頃、これまでの競技人生を振り返る機会がありました。その時にいちばん印象に残っていたのが1500mでの経験で、『一度この種目一本に絞って、自分がどこまで通用するのか挑戦してみたい』と思い、中距離への転向を決めました。転向後は、中距離専門チームTeam Ambitionの合宿に参加させていただくなど、専門性の高い環境で質の高い練習を積むことができ、とても充実した時間を過ごせました。1500mでは自己記録を更新し、全日本インカレにも出場することができました」。その後は腰痛で思うように走れなくなり、将来への不安から陸上競技以外のことにも意識が向くようになり、競技に100%向き合えなくなってしまった。結果として、少し中途半端な形で競技生活を終えることになった。

今後の目標
「今は何か大きな実績を目指すということはありませんが、一緒にいて楽しいと思える人たちと出会い、自分がやるべきことにはしっかり向き合いながら、充実した人生を送りたいです。振り返るとこれまでの人生は本当に人との縁に恵まれてきました。中学、高校、大学と、それぞれのステージで素晴らしい仲間に出会い、その支えがあったからこそ、自分自身も納得のいく人生を歩むことができたと思っています」。
大学卒業後は銀行に勤務し、営業と事務を兼務している大野さん。大学時代に心半ばで競技を終えたことから、再び走り始める日がそう遠くないかもしれない。

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