「関根大輝。熊坂光希と中川敦瑛、山之内佑成を見つけ・連れてきた人物」ーイ・チャンウォン(全2回/後編)

「東洋大学の井上卓也監督がおっしゃっていたのですが、実は佑成は過去に何回か右サイドでのプレーを求められたことがあるそうで。自分も左でしか見たことがなかったんですけどね、佑成のプレーぶりを見ていたら、右だってできないはずがないじゃないですか?でも、『左で勝負したい』という本人の気持ちもあって、『佑成の右』は実現しなかったそうです」

一時期、チャンウォン氏との間で「R・ロドリゲス監督が山之内佑成をどこで起用するのか?」の想像は白熱した。そもそも、前編に記した「アングル」を持つ人だから、私の「山之内シャドー起用論」や「山之内サカ(アーセナル)化プロジェクト」といった暴論にも丁寧に耳を傾けるなど、受けて立つ構え。それはそれは白熱した。

なお、右サイド起用のあらすじは概ねこのようなものだったという。

「夏頃だったかな?天皇杯の後に練習へ来た機会で、『3の左をやりたい』という話はありましたが、それは分かっている上で…激戦区でもありましたから、『WBでやってみよう』という結論に至って、練習試合で右をやってみたら、なかなかの出来だったと。それからまた…ルヴァン杯前にレイソルへ来て、右を本格的に任せてみたらあのようにトントントン!となっていったんです。『夏の伏線』があのような活躍へと繋がったわけです。『夏に良い印象的を残していなかったら、なかったことかもしれないな』と思いましたね」

ちなみにこの頃に山之内を取材した際、「右」については微笑みこそ見せるものの、決して口を割らなかったことは改めてここに残しておこう。

また、関根大輝と山之内の「初接触」のエピソードも私はぜひ紹介しておきたい。当時のシチュエーションとしては「内定を取り付けた拓殖大学・関根という『クライアント』を東洋大学で視察していたレイソルのスカウト」ー。

「セキが3年で佑成が2年。たくさんゴールが生まれた撃ち合いの試合だったんですが、右SBのセキと左SBの佑成がマッチアップしているんです。セキの視察で行った試合ではありましたが…そうです、その前の年に佑成が筑波大学戦でヘディングでゴールをしていたんですよ!その頃はまだCBをやっていて、左利きかと思うほどのいいフィードをポンポンと出していた印象があって、『なるほど、こんな選手がいるのか』と。その選手がセキとのデュエルで、セキを吹っ飛ばしてしまっていて(笑)。その試合後、セキとの間で、『いつかチームメイトになったりしてね』なんて言っていましたね…なのに、セキはもういないという(笑)。今後の佑成の活躍次第では『32』がレイソルの出世番号になるかもですね」

その一方で、「吹っ飛ばされた側の『前32番選手』」はこんなことを言っていた。

「それ、もちろん覚えていますよ。『強いな』って思いました。佑成はすごいですね。ただ良いプレーをするだけじゃなくて、しっかりとそこに『数字』も付いてきているのは本当にすごいです。もう、サポーターのみなさんは『前の32番』の記憶なんて無いでしょう、ランスで地道にがんばります(笑)」

この彼らに桒田大誠や古澤ナベル慈宇らを加えた選手たちはリーグやカテゴリーなどに少しの違いはあれど、大学サッカー界の優秀選手が集う選抜チームを彩った俊英たちでもある。

「セキたちの世代が2年の冬…Uー20選抜。自分の中ではちょっとした『オールスターチーム』でしたね(笑)。まずはセキがいて、CBには大誠がいました。その他にも、浦和へ行った根本健太、岡山の藤井海和に、川崎へ行く山市秀翔、湘南の田村蒼生に中島舜などが揃った世代だったりするんです。ノブと大誠が4年の時の全日本選抜の韓国遠征で2人が同部屋だったり、ノブとナベルが4年になる頃に佑成が一緒に練習に来たこともありましたね。このトリオは『チーム・バモス』っていうんですけど(笑)、3人とも好きなアーティストが一緒なのに、佑成は歳下ですから、少し気後れしていたようで言えていなかったり。レイくん(島野怜)はレイソル入りを決める前に、ナベルに相談をしていたり、それぞれが加入を決断する前に良い繋がりがあって、互いに関係を作ってから来てくれたんだなって」

もれなく質が高く、将来性も感じさせる面々。経歴だけならもっと派手な選手たちもいる。だが、レイソルに集まったのは中川と古澤、中島に桒田。

それぞれのシチュエーションで、「どのようなサッカーにも適応できる選手」かどうかを示していくのだが、李氏が感じる「レイソルのサッカー」を聞いてみた。「基準」としたら、大袈裟で堅苦しくなる。ただ、今後「どんなチーム」へ俊英たちをもたらすのかにおいては重要な感覚とは思っていた。

「リカルドがレイソルでやっているサッカーは、自分が個人的に、『こんなサッカー、あったらいいな』って思うサッカーに限りなく近い。もう、『ポジション』という概念がないくらいで、『誰がどこ』というスタートポジションはあっても、ピッチで入れ替わって、ポジショニング的に誰がどこにいても成立するサッカー。すごく分かりやすく云えば、昔のバルセロナやマンチェスター・シティのような魅力があると思っています。まず、自分たちがやりたいことがあって、対戦相手がしてくることも踏まえた上で、二手三手先を予測して戦うことができるチーム。今季はそのための『引き出し』を増やしていった気がしますね」

素晴らしいあゆみを見せてくれたチームの中で光り輝いた中川や山之内はレイソルの希望といって間違いない。拗ねていた関根だって、日本サッカー協会のカレンダーのカバーページの一端を担うまでに。

私も実際に少し前に薄暗い照明の下でプレーしていた大学生がキャリア初のポジションで、川崎を相手に、G大阪を相手に、ゴールを演出してしまう様子には驚愕していた。私の周りの記者たちも「チャンウォンさんて…」なんて声も実際になくはない。なんだか派手に担ぎ上げられる前に原稿化すべきなのは、「個性やスペック、ポジションはそれぞれある。だが、あなたはどんな選手に最も惹かれている?『日立台の門』をくぐって欲しいのか?」ということだった。

「そうですね、リカルドも言っていたじゃないですか?『試合に出ていない選手たちが支えてくれた』と。自分もそういう選手に出会いたいですし、そんな選手にレイソルへ来て欲しいんです。自分は『チームのために、レイソルのために行動できる選手』に来て欲しいですね」

書いた側のエゴとして、自分なりにチャンウォン氏を見てきた中で良いストーリーだけを見てきたわけではない。スカウトと選手、選手とスカウト。双方が思った通りにストーリーが運ばずに、心なしか、少し辛そうにしていた日だってある。そういう世界に彼はいて、今後だってそれらは起こりうる。

「今後か…今までよりも『狭き門』になることだってあるかもしれないですけど、自分のやり方に影響するわけではないと思います。自分の基準を改めることもしない…かな。例えば、練習参加に招いて、また別のパフォーマンスや輝きを見せる選手だっている。自分の感覚や意見とはまた違ったプロたちがここにはいるので、自分としては『良い素材』を集めてきて、『あとは現場で仕上げをしてください』という感覚に近いです。でも、この世界は『誰かが来たのなら、誰かが去っていく』、そこだけはずっと肝に銘じてきました。『プロの世界』とはそういう世界でもあることだけは忘れずに」

あなたが「プロの世界」を語る時、どのアングルから語る?容易に用いていないか?きっと、その世界観は「プロの世界」というキューブの一面から、いいとこ数面を語ったに過ぎない場合が多いと思う。チャンウォン氏はそんな世界に導く使者のように振る舞うことはしないし、すごく慎重で「配慮の塊」のような人だと言っておく。

でも、その一方で、彼には豊かな夢がある。

「自分がスカウトした選手たちが11人、日本代表になったら引退します」

この前段のくだりがやや輝きを失う気もするが、そうやって笑う彼に対して「いやいや、チャンウォン、いくらなんでもちょっと調子に…いや、待て、結構順調かも」なんてハッとしたこともありましたね。

じゃあ、また「おすすめ選手」をお知らせしますね…お知らせしたところでだいたいもう知っているんだけどね。見る目があるフリをしたところで、かな

この記事を書いたライター

今月のプレゼント