Vol.17 竹澤 想大さん(野田市立北部中学校出身)

 サッカー少年だった小学生の頃から短距離が得意で、中学から陸上部(短距離)に入部した竹澤さん。

 「練習すればするほど速くなるだろうと思い、帰宅後も毎日5km走りました。中学1年の冬に3000mで長距離部員といい勝負をしたところ、顧問の飯田剛史先生から『長距離もやってみては』と言ってもらい、中学2年から短距離と長距離をかけもちしました」

第64回東葛駅伝は2区、第65回は3区を出走

 「中学2年時(2区)は、それまで駅伝の出走がなくとても緊張しました。順位も落としてしまい、楽しむどころではなかったです」

 3年生で顧問が飯田剛史先生から飯田良海先生に代わった。1区を出走予定だったが、3週間前から左足首を痛め、メンバー入りを諦めかけた。しかし駅伝の4日前に奇跡的に足の状態が少し良くなり、飯田先生から3区へのエントリーを告げられた。

 「万全の状態とは言えない中でも順位を大きく上げることができたこと、切磋琢磨してきたチームメイトと襷を繋げたことが嬉しかったです。全校生徒の前で壮行会が行われたり、クラスメイト全員が応援に来てくれたりと学校代表として戦えるところが東葛駅伝の魅力だと思います。中学時代に印象に残っているのは、野田市内大会に1日で800mと1500mの2冠を達成できたことと、県大会では思うように力が発揮できずに悔しい思いをしたことです」

2011年9月 葛北支部駅伝1区

高校1年時に千葉県高校駅伝5区を走るも、足の状態が悪化し退部

 「早い段階から西武台千葉高校の齋藤久典先生に声をかけていただいたこと、練習会にも参加できたこと、自宅からも近いことから進学を決めました。中学3年時の東葛駅伝前の故障から復帰後、走りのバランスが崩れてしまい、完治しない状態で入学したのが後々に響きました」

 高校のハードな練習環境は、練習についていくのがやっとだった。高校1年時に千葉県高校駅伝5区を走ったが、毎日が痛みとの戦い。一向に足のケガは治らず、自分だけ練習を軽くしたいと言える勇気もなく、いつしか陸上競技が楽しいと思えなくなった。

 「自分自身とても苦しかったですし、その気持ちで続けるのは先生やメンバーにも失礼にあたると考え、齋藤先生に退部を申し出ました」

◆離れてから気付いた陸上競技への想い

 「退部後は心にぽかんと穴が開いてしまい、『走ることそのものが嫌いになったわけではない』と改めて思いました。何らかの形で走りたい思いがあり、中学時代に出場した茨城開催のロードレースで競っていた選手が所属していた阿見ACで一時的に練習をしました。当時は東洋大牛久高校の長距離部員も参加し、一緒に走っていましたが、もうケガはしたくなかったので『速くなろう』『強くなろう』という気持ちにまではならなかったです」

大学で陸上競技を再開

 北里大陸上部の見学に行き、先輩たちから熱烈に勧誘されたことと、指導者がおらず自由に練習できる環境が合っていると感じ、再び陸上競技をする決意をした。

 「高校時代に不完全燃焼で終わったこともあり、3年時に1500m3分台、4年時に5000m14分台を出せたことは嬉しかったです。その反面、4年時は、関東インカレ1500mのB標準(3分57秒00)切りを狙っていたので、0.38秒標準に届かず、悔しさもありました。最後は意地になり、3週連続で1500mの記録会に挑戦しました。今思えば、2週目の記録会を回避すればB標準は切れたかもしれないです」

2019年5月 順大競技会5000m

大学卒業後に長距離種目で自己記録を更新

 「大学卒業後は、『千葉県選手権5000mに出場したい』と目標をもって練習をしました。最初は千葉陸協へ登録し、複数のレースに出場していました。その間に速い市民ランナーたちと知り合い、彼らと一緒に練習をしているうちに、大学時代よりも大幅に走力が上がりました。8月末の松戸市選手権5000mや11月の上尾シティハーフマラソンで、松戸市陸協の選手に先着したのをきっかけに松戸市陸協の方から勧誘を受け、翌年度以降は松戸市陸協に所属しています」

 中学時代は県大会で力を発揮できず、高校時代は中途半端に終わり、大学時代は1番目標としていた関東インカレ出場がギリギリ叶わずと学生時代はいずれも物足りなさを残して終わった。その度に「本当にここがゴールなのか。もっと努力すればまだまだ速くなれるのでは」と自問自答し、それが走る原動力となっている。

今後の目標

 「現在は、千葉県内の病院で勤務しています。夜は仕事の終わる時間が読めないため、朝のみ走っています。タイムは10000m28分台、フルマラソン2時間15分切りを目標にしています。最近は、私より若手の市民ランナーも増えてきました。これからさらに歳を重ねても高い目標を持ちながらも、走ることを全力で楽しむ姿勢を見せていきたいです」

2024年3月 東京マラソン

(取材=さとる)

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