小学生時代から水泳を続けていた戸栗新太(とぐり あらた)さん。中学校に水泳部がなく、スタミナ面で似ている陸上部長距離に入部した。
◆第69回大会で10区を出走
西初石中学校に入学し、中学2年時に新設のおおたかの森中学校へ転校した。
「中学1年時のチームメイトとは仲良くできていましたが、転校後は新設校でメンバーがあまり揃わない状態もあってチームにあまり溶け込めなかったです。東葛駅伝は、中学生の駅伝では珍しく公道を走ることができ、スタートからゴールまで折り返しがなく襷を繋いでいることが実感できることや、学校や地域の方々が総出で応援してくれることが魅力だと思います」
中学時代はあと一歩のところで県大会の標準タイムを切ることができなかった。
「3年時はチームで最速ながら諸事情で8月末に引退したことに悔いはあります。引退後も自宅の近所を1人で走りました。東葛駅伝の日の朝は、選手や付き添いの人を学校から送り出した後、1人で学校のトラックで3000mを全力で走り、タイムを計りました。あまり走れないだろうと思っていましたが、結果は10分30秒程度でした。メンバー選考時にこのタイムで走れていれば、東葛駅伝の主力のタイムに匹敵します。『ここまで走れるならなんで引退してしまったのか』と衝撃のようなやりきれない思いは一生忘れません」
◆鎌ヶ谷高校へ進学、中学時代とは対照的に楽しかった高校生活

高校でも陸上競技は続けたい思いは強く、何が何でも高校で陸上部に入るために必死で勉強した。
「陸上部の同期の仲がとても良かったです。高校3年時に全国高校総体800mで2位になった金子魅玖人(現ARCYELL)と一緒に練習できたのは良い刺激になりました」
高校1年時の県高校駅伝は6区を走り、新人戦は5000m、高校2年時の新人戦は1500mと5000mで県大会に進出した。
「高校2年時の県高校駅伝は修学旅行と重なり、走れないことが前もってわかっていたことと受験勉強のために高校2年時の新人戦を最後に引退しました」
◆コロナ禍で気持ちが揺れ動いた大学時代
東京都立大に進学するも、入学時から新型コロナの影響でチームとしての練習はほとんどできなかった。
「レースは年間を通して1回走ったのみで、先が見えない状態でした。大学2年の春頃に陸上競技から完全に離れようと思いながらも練習は継続し、大学2年の夏に主将になりました」
翌年の夏に八大学陸上競技大会を主催する必要があり、競技をしていない身で主将は名乗れなかったため、競技に復帰。

「大学3年時は、主将として部の建て直しと大会主催のことで頭がいっぱいで、競技に意識を置くことができない状態でした。秋に主将を退任し、今後のことを考えた時、陸上部の再建のために身を粉にした結果、『得たものが主将の肩書きだけなのは虚しい。最後は自分の競技力も追求したい』と思いました。卒業まで限られた時間の中で関東インカレ出場と高校時代の記録を超えたい思いで、本格的に競技に取り組み始めました。関東インカレに出場はならなかったですが、納得はしています」
◆中学時代のやり残しが原動力に
現在は建設コンサル業界に勤務する戸栗さん。自治体の脱炭素先行地域の取組支援業務に尽力する傍ら、クラブチームに所属し、走り続けている。
「受験勉強を理由に競技をしたい気持ちがありながらも引退し、最終学年で東葛駅伝を走れなかった悔しさが今でもあります。今は競技ができる環境なのに走らないことは怠惰であり、あの時走りたくても走れなかった自分に申し訳が立たないという思いで走り続けています。今後の目標は、800m以上の種目で大学時代の自己ベストを超えることです」

(取材:さとる)