東葛駅伝を走った選手たち-Vol.16 村上純大さん(鎌ケ谷市立第二中学校出身)

 野球少年だった村上さんは、小学6年時に鎌ケ谷市内陸上大会の1000mで優勝したことをきっかけに、中学校から本格的に陸上長距離を始めた。

第65回から3年連続で東葛駅伝を出走(第65回2区、第66回と第67回1区)

 中学1年時に走った東葛駅伝はとても緊張し、1年目から走れる喜びよりも責任の重さを感じました。初めて立つ大舞台は、全く足が動かなかったです。しかも大雨で散々でした。2、3年目になると少しでも前でタスキをつなぐことを考えていました。とにかく目立ちたかったので、トップで走ってメディアのインタビューを受けたいという思いが強かったです。1区は常に先頭集団で走ることで必死でした。中学3年時は野田の競技場でスタートに出遅れて、4レーンで走ったことは、今では笑い話です。

第67回東葛駅伝スタート後の様子

 東葛駅伝は近隣6つの市の中学校が参加して一斉にスタートする迫力と高揚感はすごかったです。何より道路を封鎖して走る駅伝のうち、あれほど大規模な中学駅伝は全国どこを探してもないと思います。規模感は違いますが、箱根駅伝に近いものあります。当時は規模も大きかった銚子駅伝、県駅伝の3つを千葉の中学校三大駅伝と仲間同士で話していた記憶があります。

千葉県代表で走りたかった全国男子駅伝

 中学時代の1番の思い出は、全国男子駅伝選考会(3000m)での敗北です。残り100mで鎌ケ谷四中の鳥飼悠生選手(市立船橋~帝京大~SUBARU)、銚子五中の宮崎佑喜選手(佐野日大~日大)と東庄中の飯田貴之選手(八千代松陰~青学大~富士通)と競り合い、最終的に胸の差で4位。広島に行けませんでした。(全国男子駅伝の中学生は2区間。選手2名、控え1名の計3名が広島へ帯同) 陸上競技人生で一番悔しかったです。

 負けたその日に当時進学が決まっていた専大松戸の林英昭先生から「12月の松戸記録会で(5000m)14分台を出して見返そう」と励ましてもらい、高校の練習に参加しました。Jogの質を上げるなどして挑んだ12月の松戸記録会5000mで14分51秒90の千葉県中学新記録(当時)を出せました。

14分51秒90で千葉県中学新記録を出した松戸市記録会5000m

専大松戸高校へ進学
 専大松戸の林先生から熱心に勧誘して頂きました。長文のお手紙を頂戴し、両親から「こんなに必要とされることは人生で何回もない」との後押しもあり、入学を決意しました。

 全国高校総体も全国高校駅伝も進出できませんでしたが、高校3年時に関東高校駅伝の4区区間賞と中学時代に叶わなかった全国男子駅伝4区区間3位で広島を走れたことはいい思い出です。

2016年6月 南関東大会 男子5000m決勝

憧れのユニフォームで箱根駅伝を2回出走

 中学時代からから明大への進学を希望し、明大から推薦が来たときは即決しました。他の駅伝の強豪校からも金銭面等で優遇した条件で推薦の話をいただきましたが、両親に頭を下げて希望を受け入れてもらいました。なぜ昔から明大に拘ったのかは曖昧ですが、鎧坂哲哉さん(世羅~明大~旭化成)に憧れていたのは志望理由のひとつです。同じユニフォームを着たいという思いが、競技を始めたときからありました。

 箱根駅伝は大学2年時と3年時に9区を走りました。初めて走った時は、走りながら感動し、足が震えました。2回目の9区は前回の経験が生き、時々、沿道を見ながら楽しんで走れました。欲を言えば大学4年時に競技人生の集大成として箱根駅伝を走りたかったです。箱根駅伝の登録メンバーに入れましたが、10000mで自己記録を更新した後のダメージが大きかったです。筋肉3本を損傷する肉離れになり、諦めきれず毎日、鍼治療に通いました。諦めがついた後は、箱根駅伝当日までメンバーのサポートに回りました。他にも毎年40日を超える夏合宿では1日60km近く走ることもあり、仕事仲間に話すと相当驚かれます。

2019年1月 箱根駅伝9区

陸上競技が教えてくれたこと

 タイムが出ないとき、やる気が出ないとき、休みたいと思うことは何度もありました。特に10000mの自己記録を長期間更新できない時期が続いた時は、心が折れそうになったこともあります。(大学2年時11月に自己記録を更新後、次に更新できたのは大学4年時) 

 長距離の良いところは、怪我をせずに繰り返し考えて練習をすれば、必ずどこかで報われる日が来ることです。それを信じて黙々と日々の練習に励みました。

現在とこれからの目標

 大学卒業後は、商社でトレーディングビジネスを中心に国内外の顧客を相手に仕事をしています。大学限りで競技に区切りをつけましたが、中学時代の恩師から長距離コーチの依頼を受け、今年の3月末まで約2年間、松戸六中で外部コーチを担当しました。今、教え子たちと走ったら競り合うことは難しいですが、彼らと5000mを勝負して負けないように、少しずつ業務後ランニングをしています。いつか勝てるようにしっかりと練習を継続します。

(取材=さとる)

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