東葛駅伝を走った選手たち-Vol.14 湯川野乃さん(鎌ヶ谷市立第二中学校出身)

東葛駅伝を走った選手たち

 ランニング好きな父に連れられ、小学校高学年の時に鎌ヶ谷陸上クラブに入った湯川さん。中学で入部した陸上部は練習メニューのレベルも高く、教師も生徒と一緒に練習するほどだったという。

2015年11月 千葉県中学駅伝女子1区を走る湯川さん


◆第69回大会東葛駅伝、9区を出走


 「当時は、東葛駅伝=男子の駅伝大会だと思っていたので、走れると思っていませんでした。顧問の伊藤範考先生(当時)が特別に私を選んでくださり、嬉しかった覚えがあります」。

 9区はほとんどが男子で「順位を落としたらどうしよう」と不安を感じながら走ったという湯川さんだが、「伝統ある東葛駅伝を走ったら周りに自慢できる!」とも思っていた。


◆文武両道を目指し成田高校へ進学

 「中学時代に競技を通して仲良くなった子たちが、全員全国大会に進出し、彼女たちが成田高校へ推薦入試を受験すると知りました。レベルが高く、中学生の時に憧れていた選手たちと陸上ができる環境で生活がしたかったことと成田高校は進学校でもあり、文武両道ができると思い進学しました。当時の千葉県高校女子駅伝は、市立船橋高校と日体大柏高校が強く、その2校に勝ちたい気持ちもありました」。

2018年6月 南関東大会女子1500m予選

◆充実していた寮生活と部活動
 通学に時間がかかり、帰宅後は疲れ切って勉強をする余裕がない生活が続いたため、高校1年時の夏くらいから寮生活を始めた。成田高校は朝練習がなく練習は放課後のみで、通学時間に余裕ができた分、朝は時間ギリギリまで睡眠時間に充てたり試験前は早起きして勉強時間に費やした。

 「長距離顧問の松澤誠先生(当時)は、入学時はアップ走にもついていけない私にも強い選手たちと同様の指導をしてくださり、1年間で公式戦に出場できるレベルまで力がつきました。学校では3年間担任で、寮生だったこともあり、大変お世話になりました。怒ると怖いですが、とても優しくて陸上に熱い先生です」。
 高校2年時に県総体1500mで3位になり、南関東大会に進出。翌年も1500mで3位になり2年連続で南関東大会に進出。

「在学中は、毎年、様々な高校と合同練習や合宿をして、陸上の友だちが増えるのも楽しかったです」。

◆思い描いていたものとは遠かった大学生活
 体育教師への憧れと、スポーツ全般が好きだったことから日体大へ入学。「大学では駅伝を走りたい気持ちが強く、今ほど強豪ではなく出場機会の可能性がありそうな日体大を志望しました」。

日体大時代の仲間たちと。中央が湯川さん

 しかし、大学入学後は身体の成長もあり、疲労骨折をしたり足に力が入らなくなる抜け病のような感覚が続いた。「高校時代には一切なかった体重制限がとても厳しくなり、貧血やストレスによる体重増加で長距離選手の体形ではなくなってしまいました」

 今まで目標をもって楽しめていた陸上競技の目標を見失い、自分自身をコントロールできなくなり、モチベーションを維持し続けることが難しくなった。

「父と母、陸上マニアの弟は、どんなに遠いレース会場でも毎回応援に駆けつけてくれて、とても励みになりました。また、現在もランニングを継続している父は心身ともに弱くなっていた私と休日に一緒に走ってくれて心が救われました」。

 『大会にたくさん出場したい、結果を残したい』という気持ちで、苦しみを乗り越えてきたが、大学3年時の夏合宿後に夏の大会(トラックレース)に出る予定もなく、駅伝のメンバーの練習にも呼ばれなかったこともあり、退部を決意。その後、新型コロナの影響で単位所得が間に合わず、体育教師の道も閉ざされたことで就職活動に切り替えた。

現在と今後の目標
 「大学卒業後は、幅広いジャンルのイベントでの協賛、出展に対応した会社で営業やイベントのスタッフをしています。仕事面では、長距離をしていたことで体力はものすごく自信はあります。それを活かしてパワフルに根気強く仕事していきたいです。前述の通り、現在も父はランニングを継続しています。私の仕事は休みが不定期で、なかなか父のレースの予定は合わないのですが、今まで応援してもらった分、父が出場するマラソン大会や記録会に行き、今度は応援する側に回りたいです」。

(取材=さとる)