Vol.23 野田市立南部中学校出身 染谷雄輝さん
父と姉が長距離をしていた影響で、たまたま練習について行ったことがきっかけで走り始めた染谷さん。実際に走ってみると走ることの楽しさや達成感に魅力を感じるようになった。また、2011年の第87回箱根駅伝を現地で観戦した際、東海大の村澤明伸選手の走りを目の当たりにし、強い憧れを抱いたことが、箱根駅伝を目指して本格的に競技を始める大きなきっかけとなった。
◆第71回は3区、第72回は4区を出走
「初めて出走した中学2年時の3区は、野田南部中学校の学区内ということもあり、沿道の応援の多さと熱量にとても驚きました。緊張はあまりなかったです。東葛駅伝は、中学生の駅伝大会でありながら一般道路を交通規制し、白バイの先導があります。中学時代にその経験ができることは非常に貴重で、一生の思い出になると考えます。また、父が東葛駅伝の優勝メンバーだったこともあり、幼い頃から強い憧れを持っていた大会です。80年以上続く伝統ある大会であり、親子で受け継がれていく点も大きな魅力です」


◆憧れの東海大出身の顧問がいる流山南高校へ進学
憧れである村澤明伸選手と同じ東海大で箱根駅伝を走ることが夢だった。東海大時代に箱根駅伝8区区間賞を獲得された影山淳一先生の指導を受けたいと考え、流山南高校への進学を決めた。「影山先生は自主性を大切にされる方で、私が『こういう練習をしたい』と伝えると、それに対して必ず意見やアドバイスをくださりました。お互いにしっかりと意思疎通を図ることができていたからこそ、1回1回の練習の意味や目的を理解した上で取り組むことができ、とても充実した3年間を過ごすことができました」。チームメイトにも恵まれた。同学年は男子だけで23人と人数も多く、県総体3000㍍SCで優勝し、全国高校総体に出場した平間純哉さんや大学でもチームメイトだった熱田聖人さんなど力のあるメンバーが揃っていた。「互いに切磋琢磨して高め合うことができ、流山南高校史上初となる関東高校駅伝に出場できたことも、大切な思い出のひとつです」


◆近年関東学生連合に選手を輩出していた育英大へ進学
建学・創部4年目という新しいチームで3年連続関東学生連合チームに選手を輩出していた点に魅力を感じ育英大へ進学。「第97回箱根駅伝で関東学生連合チームに選出されていた新田颯さんに強い憧れを抱いていました。大学卒業後は、将来、警察官になることを考えていて、公務員向けのコースが設けられていた点も含め、決め手となりました」
◆強い先輩方が卒業後の役目が重荷に
大学2年生になり、新田颯さんや諸星颯大さんなどの強い4年生が卒業後、門限や寮則を破る部員が多発し、チーム状況が悪くなった。自身は学内で持ちタイムがトップで、練習では常に先頭を引いたり、時には1人で行ったりと大変な状況が続いていた。副主将も任され、チームを立て直すために、何度もミーティングをした。ミーティングが夜遅くまで続くことがあり、夕食の時間や睡眠時間を削られたりして、生活だけでなく、競技面でも影響が出てきた。「副主将という立場上、チームをまとめることも大切ですが、いちばんに大切なことは自身が箱根駅伝を走ることだと改めて思いました。残された大学生活を考えた時、当時の生活には限界を感じ、環境を変えることを考えました」
◆高校時代の仲間とのつながりが編入のきっかけに
そう思ったものの編入をするあてはなかった。日頃から高校時代の同期で日本薬科大で競技を続けていた熱田聖人さんとLINEで近況報告をしていたこともあり、「うちに来てみてはどうか」の一言がきっかけで、本格的に編入の話を進めていった。高校時代に日本薬科大の中田盛之監督から声をかけていただいたことも幸いし、話はスムーズに進んだ。2週間ほどで編入が決まり大学3年時から日本薬科大で競技を続けられることになった。
◆選手生命が危うい時期も
大学2年時の1月からチーム状況の悪化によるストレスに加え、ウイルス性心筋炎や房室ブロックを発症し、編入後の大学3年の9月まで走るどころか歩くことすら苦しい状態になった。先が見えず本気で競技を辞めようと考えた時期もあり、そのたびに箱根駅伝への思いを諦めきれず、何度も葛藤を繰り返した。「『ここで辞めたら後悔する』とわかっていたので、1日1日、今、できることを精一杯やろうと思いました。『最後にもう一度だけ挑戦し、それでも回復しなかったら諦めがつく』という気持ちで向き合ってからは、少しずつ走れるようになりました」。小さな積み重ねが嬉しく、気付けば状態を取り戻していた。その経験を通して、どんなに苦しい状況でも、1%の可能性を信じて挑戦し続けることの大切さを学んだ。
◆最初で最後の箱根駅伝は9区を出走
「日本薬科大に専用グラウンドがないこと自体には大きな不便は感じなかったですが、競技場練習の際は、毎回約1時間の車移動があり、体が固まりやすかったです。アップやダウンの時間を長めに取り、寮に戻ってからのセルフケアを入念に行うなど、コンディション調整を意識しました」。大学4年時は陸上競技にすべてを注いだ。箱根駅伝予選会は1時間2分54秒で学内2位の日本人トップ、個人36位で関東学生連合に選出してもらった。「12月の短期合宿でほぼ箱根駅伝出走を手中にでき、以降は体調管理を優先し、箱根駅伝まで無事に過ごすことができました。夢舞台の箱根駅伝9区の23・1㌔はあっという間でした。歩くことすら苦しい時期があったからこそ、喜びが大きかったです」

◆卒業後は実業団で競技を継続
「箱根駅伝を競技人生の最大の目標に置いていましたが、ありがたいことにプレス工業の下里和義監督から声をかけていただき、大学卒業後も競技を継続します。全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)やマラソンで結果を残し、これまで支えてくれた家族や仲間、スカウトしてくださったプレス工業の下里監督に恩返しをすることが新しい目標です」
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