車いすバスケットボール日本代表 藤本怜央選手スポーツ交流会開催 

スポーツ

 盛夏の折、8月21日午後1時から、柏市の吉田記念テニス研修センターにおいて、車いすバスケットボールのパラリンピック日本代表 藤本怜央選手との交流会が開かれた。


 一部は、スポーツ座談会。藤本選手に加え、夏冬各五輪のメダリスト支援栄養メンタルアドバイザー葛西紀耀さん、元メジャーリーガー通訳 松本重誠さんの3人による各専門分野についての講話が中心だった。二部は、競技用車いすを知って、学んで、触れてみようというチェアワーク体験会。

座談会の様子=左から藤本さん、松本さん、葛西さん


 座談会は、藤本選手が中心となって進んだ。交通事故で右足を切断したこと、プロバスケ選手になった経緯、10年間のドイツ生活、オリンピック代表のキャプテンとして活躍したことなど興味深い話が続いた。


 車いすバスケは、チェアとチェアがぶつかり合う激しさが特色。スピーディーなゲーム展開も魅力だ。体格に優れた藤本選手は、毎日の食事で栄養管理をしながら筋トレを欠かすことはない。睡眠にも気を配っている。一番のリラックス方法は、豆からひいたコーヒーにゆっくりとお湯を注ぐこと。神経を集中することで脳がリフレッシュするそうだ。


 藤本選手は、ヨーロッパの福祉先進国で暮らす中、障害者スポーツの認知度が日本に比べて高いことを肌で痛感したそうだ。5度のパラリンピック出場を果たし、現在はパラスポーツの振興にも尽力している。


 静岡~宮城~ドイツ~東京と様々な土地で暮らした経験があるが、千葉の印象を聞くと、こう話してくれた。
 「千葉はとにかく暑い、熱い。私の車いすバスケの原点ともいえる土地です。千葉ホークスのヘッドコーチに基本を教えてもらいました。そして、千葉県のパラ選手は、志が高いように感じますね。そして、みんな親切です」


 2028年のロス五輪・パラ五輪に向けて、藤本選手のパラスポーツへの取り組みはますます熱いものになっていくだろう。

藤本 怜央選手

1983年静岡県生まれ。9歳の時、交通事故で右足の膝から下を失う。高校までは義足でバスケをしていた。東北福祉大学へ進学し、車いすバスケへ転身。宮城MAX所属。ドイツブンデスリーガで10年間活躍。過去に5度のパラリンピック出場。2016年のリオ大会ではキャプテンを務め、2020年東京大会では銀メダルという快挙を成し遂げた。

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