「Cuatro finales/4つの決勝戦」
〜棲みついていた感情〜
「正直言って、今日のこの試合が始まるまで、気持ち的には『ルヴァン』をすごく引きずっていました」
11月8日。名古屋戦を勝利で終えた原田亘はこちらを見据えこう話した。
私は原田にこう聞いていた。「あの日、国立競技場での敗戦からの1週間。この名古屋戦を迎えるにあたってどのような日々を過ごしていたのか?」。少し言葉を選びながら投げ掛けた私の質問に対して、原田は「正直言って…」と切り出した。

「すぐに気持ちを切り替えるということ。それは自分的には難しかった。『このモヤモヤとした気持ちをすぐに取り払うことは難しいな』と感じていたし、この試合で『どんなプレーをするのか』や『どんな結果を出せるか』で解決をするものだと思っていた。モヤモヤを引きずったままで中断期に入るのも苦しいもの。今日は勝ててよかったです」
この日の試合結果的には「ヒーロー」に限りなく近い存在だったが、傍目には窺い知れない胸中を口にしてくれたところでこちらを見やる視線は少し穏やかに。どうやら棲みついていた感情や立ち込めた霧は晴れたようだ。
「試合が始まれば集中しますから、ずっとモヤモヤしているわけじゃないですけどね(笑)」
そう笑ってはいたが、再び「これからの決勝戦」へ話が向いた。「そこへ向かうにあたって、どのような準備が必要か?」と話を向けると、もう一度凛と表情を変えながらこう応えてくれた。
「ルヴァン杯の決勝戦では自分の『未熟さ』というか…『大舞台で自分のプレーができないこと』を認識していた。負けている状況から自分は何かをできたわけではなかった。この中断期間では『個人のレベルアップ』、そこに尽きると思います」

また、後日の取材対応の場でも、「先日も話したのですが…」と同様の気持ちを話す姿を横目に見ていた。
その様子から、「原田亘」という選手への関心や愛着、「あなたはいつ自分を褒めるんだ」といった感情が交錯した。仮に「あの日」に勝利をしていた場合でも、試合後の原田の話だけはちょっと想像がつかないところがまたいい。正直に言って、彼の感情が解き放たれる瞬間が待ち遠しい。
〜幸せな重圧の中で〜
原田と同じように気持ちのどこかに不具合を覚えていたことを告白した選手がいた。戸嶋祥郎だ。
「あの日」、戸嶋はスタメン出場。プレータイムは45分ほど。チームは準優勝に終わった。「その心中やいかに」とマイクを向けた。
「国立競技場では『タイトルを獲るんだ』と自分たちを信じてやまなかった中で、ショッキングな結果となってしまい、今日まで気持ちを切り替えられずにいて、気持ちの中で『ちょっとした引っ掛かり』のようなものは『あの日』以来、ずっと胸の中にあった。自分たちはそれだけ強い思いを持っていたし、あの試合に懸けていたので」

しかし、カップは持ち帰れず、カレンダーは更新され、目指すべき場所もまた新たに更新された。チームは名古屋戦に勝利。戸嶋は途中出場で、試合を終らせる仕事を担った。この先を見据えてみても重要な仕事だ。
「だから、『今日の試合に勝ってこそ、次へ進める』との思いでした。その試合に勝ててよかった。この終盤戦の時期に、自分には『懸かるもの』があって、何とも言えない雰囲気の中で試合をすることができている。しばらくの間、経験してきた『残留争い』とはまた違う、この『タイトルを懸けた戦い』がどんなものか、自分たちは身を持って感じていて、『これを乗り越えてこそだ』と思い戦っている。このような『幸せな重圧』を乗り越えながら成長をしていきたい」
「幸せな重圧」ー。
なんて素晴らしい表現だ。少なくとも幸せだと感じていてくれるのであれば、物事は良い方へ向かっていくはず。続けて、「残り試合をどのように臨み、また戦うのか」を聞かせてもらうと、「幸せな重圧」に内包されたディテールが浮かび上がってきた。
丁寧に「場合によっては少し語弊があるかもですが」と前置きをした戸嶋は話を続けてくれた。
「自分自身は『タイトルを獲る』という立場にいなかった、そういう選手。もちろん、獲らなくてはいけないし、そこへ向かわなくてはいけない立場。しかし、それは叶わなかった中で、監督やスタッフに支えられ、助けられて、まだなんとか『ヒリついた場所』へ立たせてもらっている。ポジションの競争も春からずっと続いているし、たくさんのことを仲間たちから学んでいる。ここでなんとか結果を出して、チャンスを掴んで、チームや自分を成長させたい。自分たちにコントロールできることはあまりない状況。目の前の試合を『決勝戦』だと思って戦うつもり」
華やかな「決勝戦」は1つ獲り逃しはしたが、「決勝戦」はあと2つある。戸嶋はシーズンが進む中で「このクラブにタイトルを」と「ACL出場」をという願いを口にしてきた選手の1人。彼のクラブ遍歴を見れば、それらが「悲願」であることはこちらがとやかく言及する必要もない。
さらにいえば、戸嶋にとってはチームの最後尾から這い上がってきたシーズン。その締めくくりにはどのような結末が待っているのだろうか。棲みついてしまった「タイトル」への呪縛はまた新たな戸嶋を作ることだろう。

〜勝てば…云々〜
そして、やはりこの人に話を聞かねば、この項は完結をしない。
グラウンドでの練習を終え、しばらくの間ジムに籠っていた古賀太陽を待った。
目の前で決勝点が決まった決勝戦。足の感覚を狂わせながら親友と戦った決勝戦。今回はどのような決勝戦だったのか。個人的には古賀としばらくその類の会話はしていない状況でもあった。
「うーん。『あの試合』だけのことを考えると、過去の2回の決勝戦は『…惜しかった』と思えますけど、今回に関しては『負けたな』と。もちろん、悔しいし、過去2回よりも『獲るべきチームである』という自信を持ちながら臨んでいた分、それらの思いを乗せた時には悔しさも大きく、あっけなく終わってしまったので複雑な気持ちでした。90分を見れば、『完敗』で『勝てた試合』と言えない結果になってしまったのと…『ここまで積み重ねてきたこと』があるので、複雑な感情が混ざり合って。なんて言ったらいいのか…うーん、『虚しい』かな。『今までで1番自信を持って臨んでいた決勝なのに』というもどかしさがありましたね」
キャリア的にも「3度目の正直」とはならずに国立競技場をあとにした。色々な性質や性格を持った人たちが集まる「チーム」の中で、ある年代からメンタル的にも大ブレをしないタイプのキャラクターを持つ古賀の場合はどうだったのか。
「何かモヤモヤした感情が全くなかったかと言われれば、そうではなかった。勝って勢いを持って名古屋戦を迎えたかったですから。少しチラつくものはあった。ただ、やることは変わらないし、システム的にも似た相手とあって、自然と『広島戦で出た課題の改善を』とできてはいたので、ずっと引きずるほどではありませんでしたね。強いて言えば、翌日までかなと」

少なくとも、「周囲とは『広島戦ではこんなことをできたよね』って案を出し合えたり、いつも通りの一週間だった」と話していたから、敗戦を受け入れて、成り立ち的にまだ若いこのチームの「経験値」としてシェアできている様子ではあった。
そして、名古屋戦はその試金石として上々の結果となった。
「今のチームが持つ強さが現れた試合にはなったと思います。内容的には理想的なものではありませんでした。それでも勝てたことは自信になる。ここまで『勝てば…云々』という試合を落としてきたチームにとって、自分たちが『積み重ねてきたこと』が出せればあのような展開でも勝ち切れるという自信になる。リーグについては自分たちは『追う側』。いくら鹿島がどうでも、自分たちのことに集中して、ブレずにやっていくだけです」
私の中では、おそらくもっとたくさんの人々の中でも、Jリーグ屈指の選手であり、立派なアスリートに変わりない古賀太陽という人であるが、いわゆる、「『アスリートアスリートした』アスリート」ではないところが彼の魅力であり、才能。どこか達観した感覚や目線、ニュアンスを頼りにしている。
その古賀に「この状況、『決勝戦だ』とは云うが、『あの日の決勝戦』とこれからの『決勝戦』は繋がるのか」について聞かせてもらった。もちろん、そのニュアンスは理解している。敢えてだ。
「次の新潟戦とルヴァン杯の決勝戦を比較してみた時に、『全く同じマインドで…』と言われれば、少し違う。決勝戦を経験したからこそ、いつも通りのマインドで臨める。ルヴァン杯の決勝戦を経験して、あの日は緊張していた選手もいたかと思いますし、そこを通ってきたからこそ、この先も平常心で臨めることを感じている気がする。自分たちにとっては『勝たなくてはいけない試合』ということに変わりはないですが、いつも通りに目の前の試合に勝つことに集中することはできるんじゃないか。今の自分たちの100%を出し切ることにフォーカスできるんじゃないかと思います」
そう展望を語る古賀。ここまではいつも通りだ。

〜見つけるべきは?〜
名古屋戦を含めれば、佳境を迎える11月から4つの「決勝戦」を戦うまでになったこのチーム。さらに誤解を恐れずいえば、目眩く個性的なサッカーを見せて、今季のJ1リーグを彩ってきたチーム。間違いなくなんの栄誉も付いてはこないが、そこに誇りを持つサポーターも多いはずだと思う。
ずっと、「このサッカーは何なんだ?」という疑問はあった。「ポジション」という概念を考えさせられるほどモダンのように映るが、サッカーの原風景のようなクラッシックさにも映ることもある。そんな彼らの戦いを見ていれば見ているほど、その疑問に立ち返り、こじらせる。そんな私はもう置いていかれているのだとすら思う。
例えば、彼らのサッカースタイルを表現するネーミングとか。コンセプトのネーミングについては語られてこなかった。
ただ、それは古賀を持ってしても未だ困難なようだ。
「それは難しい(笑)!確かになかったですよね。いつか聞かれるような気もしますしね…『新しい何か』のような気もしますけど、なんて言えばいいですかね。どこかを真似しているような感じもないし、監督が持つ色々なオプションがどこからインスピレーションを受けているものなのか。サンプルとして海外の映像を持ち込むようなこともしないので。今はまだ難しいですけど、見つけたいですね」
じゃあ、また見つけに行こう。
さらなる「新しい何か」を求めて、この「4つの決勝戦」を見届けていこう。その先にその答えがあるかもしれないから。「過去」なんてもう実在しやしないし、「未来」だって何も決まっちゃいない。今からでも変えられる。
愛するクラブが4回も「決勝戦」を戦える機会、それらを見守れる機会なんて、そうは簡単に訪れない。こんなにも純粋な選手たちに出会えたことも忘れてはいけない。私たちは幸せ者だ。
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