プロサッカー選手ができることー岩永創太
8月8日の三協フロンテア柏スタジアムでは「令和8年熊本地震」の被災地への募金活動が行なわれた。
柏レイソルには野田裕喜や満田誠、仲間隼斗など熊本県に深い縁やルーツを持つ選手たちが所属しており、出場メンバーとして招集されていた仲間を除く彼らは今回の募金活動にも積極的な姿勢で参加して支援を募っていた。そんな熊本県との縁を持つ選手たちの中で、今回の地震との独特な距離感を持つのがルーキーの岩永創太だった。

2016年の地震の際、まだ小学生の岩永は熊本県の松橋町(まつばせまち)で被災した経験を持つ。
「10年前のあの頃。自分は大きな地震を経験したことがなかったんです。まだ5年生で10歳でした。自分は家にいた時に1回目が来て、2回目が来た時は寝ていたんですよ。でも、あの時は『そんなに動いてない感じ』ではありました。揺れはあっても自分なりに『大丈夫』という感じはありましたけど、そのまま避難をして…という記憶がある分、自分には今回の地震もすごくリアルに感じています」

既にサッカー少年だった岩永は所属していた地元クラブが活動休止になり、ボールと共に走り回っていたいつものグラウンドは大量の救援物資が集まる保管所となっていたという。もちろん、活動は一時休止。「一時」とはいえど、「いつものサッカー」は取り上げられてしまった。その時間は果てしなく感じていただろう。
「今の子供たちが同じ経験をしていると思うと、少し辛いですね」
そう話した岩永。今回の地震は柏市の日立柏サッカー場でのトレーニング後に知ったという。咄嗟に「帰らないといけないって思っていた」というが、かつての「松橋町のサッカー少年」は柏レイソルのプロサッカー選手になった。あの頃とは「いつものグラウンド」も「いつものサッカー」も変わった。

しかし、「できること」も変わった。8日の募金活動は岩永にとって特別な体験となったという。
「新人の自分にとってはプロになってすぐに今回のような『プロになることで、地元に貢献できる』という経験を身をもってできましたし、クラブやリーグも今回の活動を企画してくださったり、提案してくださったりと本当ありがたいかぎりです。たくさんの方々のおかげで、『少しかもしれないけど、熊本に貢献できたのかな』と感じています」

チームを代表して、集まったメディアにも囲まれるという経験もした。岩永はつらい気持ちを抑えるかのように、トレードマークの愛くるしい笑顔をふりまきながら対応。立派にレイソルの選手としての役目を果たした。その後も故郷に想いを馳せながら、レイソルの勝利や成功、自身の未来のために日立柏サッカー場で汗を流しているうち、つい先日にはうれしいニュースも届いたという。

「家族が電話をくれて、『一旦落ち着いたから』と言ってくれました。そこで詳しいことを教えてくれたんですけど、地震の直後に送られてきたどの写真も家の物は全部ぐちゃぐちゃになってしまっていて、棚も倒れていたり。10年前の地震は『震度6強』の揺れだったのですが今回の『震度7』は10年前の体験とはも比べ物にならないものと感じました。でも、その電話の中で、『やっと、お湯が出たんだよ』って言っていました。それまでずっと水でお風呂に入っていたと言っていましたから、『だいぶ元に戻ってきたよ』って。それを聞いてホッとしました」
未だ辛い日々が続く地域の方々が多くいらっしゃることだろう。だが、自身の故郷の街々が少しずつでも確実に状況は良くなっていくことを願いながら、そう祈りながら、岩永は日立柏サッカー場でのトレーニングに励んでいることも、今回は併せてお伝えしておきたい。彼にはレイソルのプロサッカー選手としてやらなければいけないことが残されている。

「本当は『ピッチで、ゴールや結果で、熊本県の方々を元気づけたい』という気持ちはあります。それに今回、レイソルサポーターのみなさんからしたら、熊本県は遠い土地なのに、みなさん親身になってくださった。1人の熊本県出身選手として、少しでもレイソルというクラブに貢献しようという気持ちが強くなりました。自分には応援してくれるサポーターの方々やファンの人たちがたくさんいる。今回はみなさんの気持ちを身をもって感じる機会となりましたし、感謝しかないですね。次は自分がピッチに立って、サッカーの面でレイソルと熊本を応援してくれたたくさんの方々のために貢献できるようにしなくてはいけないという気持ちです。そして、いつか、熊本の人たちへ『良い報告』ができるようにがんばります」
取材を終えた岩永は「自分で大丈夫だったですかね」と恐縮していたが、全然大丈夫だ。君の笑顔はみんなを幸せにするから。

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