「大人の塩梅」ー久保藤次郎

1ー2で敗れた千葉ダービーの試合後。

久保藤次郎を呼び止めると、冷静な表情で口を開いた。

「前半は『0ー0』で折り返すことができて、昨年からあるように、自分たちには『上出来だ』という感触はあった。でも、昨年との違いは『相手が疲れている印象がない』ということ。『ただの0ー0』という感じ。自分たちは『0ー0で折り返せればOKだ』という感覚があったけど、今日も相手があまり疲弊していなくて、互角だった印象がありました」

相変わらずの「ポケット」での勝負強さを披露して反撃のゴールを奪った件もそぞろに、久保に「なぜ、そうなるのか?その原因を言える限りで聞かせて欲しい」という質問を投げ掛けた。

「昨年のように相手のプレスの『矢印』を折れていなくて、相手のプレスのスイッチが入った瞬間に、矢印を折ることができていないから、相手は体力的にもメンタル的にも折れていない。『体力とメンタル』は繋がっているものだと自分は思うので。メンタルを折らないと相手はがんばれてしまうし、走れてしまう。矢印を折れていないから、プレスをまともに受けてしまい、自信を与えてしまうし、また相手が走れてしまう。その『連鎖』があることが原因なのかなと思っています」

久保は自身が感じていた当時のチームの現状を吐露した。その言葉に、2月のこのリーグの開幕からうっすら感じていた「違和感」の正体を知った気がした。

私が当てたこの問答、あろうことかダービーの数日後に老舗媒体が「完全文字起こし」してしまうほどのものはあった。あの日ふらっと現場に来た記者にとっては「ご馳走」だったかもだが、従軍記者のような立場の私としては、一旦回収すべき事実の1つであるし、あの「書きっぱなし」所作はとても前時代的で身につまされるものがあった意味で、こちらもまた「違和感」ではあった。

翌週は町田を相手に良いところなく完敗。今になって思えば、様々な要因が連なり、「どん底」のフェーズではあった。千葉と町田、浦和と続くスケジュールの中で、底なら底なりに、久保がどのような「ソリューション」を提示するのかには興味があった。何かを押し付ける意図はないが、彼がそれほどの価値を持つ選手であることを私たちはよく知っている。

ただ、一部では千葉戦は「自分たちの攻め方ができていた試合」との声もあるので、町田戦を「しっかりと構えて中央を固めたきた」タイプの試合だったとするべきか。強固でソリッドなDFラインでレイソルのプラン諸共を弾き返すような「スタイル・ウォーズ」を挑んで優っていった町田との一戦には町田が提示した質や現状の仕上がりもさることながら、非保持時のオーガナイズとの兼ね合いも大いに感じた。

一方、直後の浦和戦では「相手が前から来た」タイプの試合を戦うことになった。

この後の記事の展開で私が戦術的解決をキメるわけではないが、よく用いられる「きた」と「来た」の違いをせっかくなので用いてみた。さらに言い換えると、「ブロック」と「前プレ」というワードを用いれば、この後の久保の視野や感覚に寄り添い易いはず。

「浦和はサイドが出て来てくれたので、『自分たちがどうこう』というより、『相手のやり方に対応できたな』という感じはありました。相手のシステムとの兼ね合いというのはかなりある。相手のサイドが出てこないで、3CBが『レイソルに持たせてオッケー』となった時に課題がある。出て来てくれる場合には問題は無いんです。それこそ川崎戦もそうでしたからね。町田や…まぁ、千葉もそうかな、自分としてはこの2試合では自分たちらしくプレーはできていない。でも、これは『チームの問題』というより、『自分の問題』なんですよ、そこをじっくりと考えているところです」

昨年にもあったが、自身へと「何某かの強い矢印」を向けた時の久保と接するのが私は好きだ。ただ、物事には順番がある。感じたこと、抱えていること、それらをしっかりと把握して、向き合うことができる選手がこちらへ伝えるコメントというのはいつも鋭いし、預からせてもらいながらも、取り扱い自体ナイーブになるものだ。

昨年は何度かそうすることで大きく羽ばたき、数々の歓喜と衝撃を私たちにもたらして、狙いを定めていた『日の丸』だって付けた。年の最後には煌びやかな横浜アリーナで黄色のジャケットを羽織って昭和のムービースターのようにランウェイを歩いていた。

浦和戦ではピッチサイドで出番を待つ山之内佑成の姿を見つけ、「交代かな…」と感じていたという。それから数分後、状況は少し好転していった。

「浦和戦の自分は『簡単なミスが多かったな』となりますね。自分のところまで運んでくれたボールに対して、『仕掛けること』や『剥がすこと』などもうまくいかなかった。それができず、『これが今も課題だよな』って思いながら前半を終えての後半は、その気持ちを良い意味で引きずることなく入れていた。よくあるのはその気持ちのままで、ガムシャラになってプレーしていたりもあったのですが、後半の途中に佑成が途中から右CBに入ってきたので、『佑成の能力を活かす方がいいだろう』と。そこからはどちらかと言えば、『パサーに徹して』というか」

元々、右サイドでの「ローテーション」の中でも光ることができる選手だ。「ボールを速やかに動かせ」と言われれば、何の問題もなくボールを動かすし、山之内のスプリントを活かしたチャンスメイクは試合を動かしていた。ただ、問題は「腹の底」のあたりにあるようだ。

「分かりますよ、あの日のように自分が『パサー』役をすれば、相手は困るとは思う…でも、やっている自分は全然面白くない(笑)。そこは『大人になるべきところ』なんですけどね。コヤくん(小屋松知哉)はその意味で『大人』でしたよね。自分は『パサー』役では満足できないので。自分の試合の中での評価基準を『何回縦を取れていたのか』、『ワンツーで崩せたか』と評価をするタイプなので。面白くないなりに良いところではあるし、そのあたりも監督はちゃんと評価してくれているはず。『個』では貢献できていない自分の起用理由は…戦術面での効果もあるのでしょうし、状況判断の部分というか、状況によっての『手数』にもなれることを評価してくれているのだろうし」

久保が突くスペースを予め消してくるという「処方箋」は方々に出回っている。ボールを持った久保への詰め方や距離感、人の掛け方も以前と変わっている。それらは「秀逸なウインガー対策サプリメント」のようなもの。試合の中で久保が輝く瞬間がある以上、相手にとってはどれも一時的なもの、特効薬とはなっていないのだから。

それでも久保の矢印、その先端は自らに向いている。

「今は『縦を切られたあとの選択の成功率』がそれほど良くないこともあって、『逃げ』のような状態になっている。『今はまだそこへ対しての不安がある』と感じているんだと思う。そこの成功率が確実なものになっていけば、『こんなことだってできるよ』ってポジティヴになれるから。『まあ、ドリブルだけじゃないしね』って…なんか、今、『正解』が出た気がするな」

浦和遠征から水戸戦、代表ウィーク後の横浜FM戦にかけて、その状態は上向いてきている。水戸戦では細谷真大との関係から久保らしいアタックから「ほぼアシスト」のシーンもあった。横浜FM戦で発生した「1人少ない相手に対して」という状況は試合を難しくするものだが、良いクロスもあった。2つほど内側のレーンを突くシーンもあった。守備者としての属性も印象的な久保には「相手陣内での攻守の切り替えからのアタック」という手段もある。あくまで私見だか、このあたりの汎用性の高さは久保の魅力。少なくとも、私の中では。様々なタイプのウィングに魅せられてきたが、久保は「守から攻」や「攻から守」での連続性に秀でたウィングだと思っている。

「攻守の切り替えのシーンというのは意外と良い状態でボールを受けることができていたり、良い攻撃が始まったりもするので。『侮れないシーンだな』って思っていますし、この2試合くらいはうまくやれている。今日も『もっと仕掛けておきたかった』と思うところはあるんですけど、相手に退場者が出て、ブロックも引いていた。簡単に仕掛けることはできなかったのですが、佑成との連携もできて、クロスを上げることもできた。精度はまだまだですが、自分の『判断』としてやれているので、納得はしています。今まではその『判断』すらままならなかったから。仕掛けの回数は少なかったかもだけど、それも自分の『判断』があってのことだから」

相手が中を固めているなら、ウィングとして求められるオーソドックスな作業の1つは「タッチラインのギリギリをサバイブしながら相手の陣形を一歩でも二歩でも広げること」。地味には映っていても、それだって重要な「判断」。本人の達成度は自分への責任や矢印の太さに比例してくるものだから、その基準が高いほど「こんなことだって」とまでは簡単に言わないのだろうが、実は色々な形で相手陣内に迫っている。

元々、去来した気持ちを表現することに秀でる選手の1人であるが、面白かったのは久保は自身の誕生日を迎えるに当たって、変化していった心模様をこう表現したこと。

「チームも、成績に関しても、『全然ダメ』だと思う。期待値が高かったこの『ハーフシーズンの半分』までは『100点中・10点』でいいでしょ。後半戦での挽回にチームとしてシフトしていくことになる。今日のような試合をどんな相手に対しても出せるようにチームも自分も成熟していかないと。だから、『ブレないこと』かなあ…難しいっす。でも、自分ももう27歳なんで、いつまでも若々しいメンタルだけで振る舞ったり、臨んでいるのもちょっと違うと思う。ずっとそんな感じでいるのなら、今後にレイソルへ来る若い選手たちに悪影響でしかないから(笑)。自分もここまでたくさんの選手や先輩たちを見てきて、『頼もしい先輩』のような理想像はあるので、近づいていけるように。若々しさやプレーの迫力は失わないけど、『良いオーラのある選手』になっていかないとって」

さらに柏熱地帯で盛大にお祝いされた4月5日の誕生日当日の心模様はこうだった。

「気がついたらもう27歳という感じ。『若手』だなんて言えない年齢になってきた。でもね、『いいとこ獲り』はしていきたいですね。『大人の余裕』と『若者の荒々しさ』などを。大人になり過ぎちゃいけないなって。だから、『いいとこ獲り』を、と。今までは若いから悩んでいても、特に周りも気にならなかったかもしれないけど、27歳にもなって悩み過ぎていたら、『大丈夫なの?』ってなるじゃないですか?そんなの、重いでしょ(笑)?そこに気がついて、そろそろ『自立しなければ!』って。そうやって自分を見られる『余裕』は持ちつつ、丸まってしまうことなくね、良い塩梅を選びながら」

に少し前、26歳の終わりに聞いた側がちょっとびっくりすることを言うものだから、26から27になるあたりで、目を凝らして見つめてみたけれど、「見え方」は言うほど悪くない。私は試合終盤に右サイド付近で「久保ポジション」でカメラを構えている機会が多い。その理由の1つは『後半の久保がやけに画になるから』なのだが、鋭い視線で相手を見やる久保の目の前で、相手はその視線を避けるように肩で息をしながらソックスを直す姿をよく見かける。

だから、あの時、「相手が疲れていない」と感じたのは昨年よりももっと強烈な仕事をするんだという久保の覚悟や気概が生んだちょっとした差異なんじゃないかと思っている。

この記事を書いたライター

今月のプレゼント